僕が好きな言葉

  1. 2011/01/04(火) 18:40:57 
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2011年が始まった。
今日は1月4日、仕事初めの人が多いのではないでしょうか。

僕はというと、明日が仕事初め。
もちろん、やることは山積み。


とはいえ、休みでしかできないこともある。

そう、自分に言い聞かせながら、
音楽を聴きながら、もの思いにふけって、心の整理をしている。

その中で、ふと、もう一つだけ日記を書いておこうと思ったので、
今、こうして書いている。


こうして日記を書けることは、
時間的な余裕もそうだけれど、心の余裕がなければ書けないものなんだなと、
今更ながらに気付かされる。

そう思うと、3年前の世界一周中には
毎日、日記を書き残して行ったけれど、
あの時は、慌ただしく世界が移りゆく中、時間も無い中で、
あれだけ書けたということは、
きっと、心にはたくさんの余裕があって、
伸び伸びと、日記を書くことができたんだと思う。


その対比ではないけれど…

去年はずっとそうだったけれど、
心のざわめきが、治まらなかった。

必死に毎日を生きてはいたんだけど、
常に、何か落ち着かないような、そんな感じだった。
毎日、全てにおいて、自分にも納得がいかないし、
何一つ、実現出来た気がしなかった。

でも、それを振り返っても仕方ないし、
これからをどうするか、それが大切なこと。


そんな時に、僕にとって、
自分の道しるべになったり、
支えてくれるのは、「言葉」だと、今、改めて思った。

だから、ふと、このタイミングで、
自分の好きな言葉を、まとめて書き出してみようと思った。

これを自分でも見返しながら、
この2011年を生きていこうかなと思って。


多くの方が残していった言葉、
その方々に感謝を申し上げつつ、
僕の好きな言葉を、自分なりのテーマに分けて、以下に記します。

__________________________

<考え>
一生、雑魚であれ。
死ぬまで、学ぶ心を忘れない。
一生、旅人であれ。
死ぬまで、出逢いの喜びを忘れない。
*ある旅人の言葉


おもしろきこともなき世をおもしろく
*高杉 晋作


自分の心の中に何か悩みがあるならば、
先ずそれは「取越苦労」か或いは、「消極的思考」かの何れかである。
故に入念に省察すべし。
*中村天風


Stay hungry, Stay foolish
*スティーブ・ジョブス


しあわせはいつも
じぶんのこころがきめる
*相田みつを


たいせつなことはね、目に見えないんだよ……
*サン=テグジュペリ「星の王子さま」


変えられないのは他人と過去、変えられるのは自分と未来。



<行動>
アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。
*相田みつを


足踏みしてても、クツは減るぜ
*吉田聡「純プライド」


辛い夜には、ひとり、自分の人生の主題歌を唄おう。
*高橋歩


強いって事は泣かないことじゃない。泣いてもまた笑えること。


"No Rain,No rainbows"(雨が降るから虹も出る )



<選択>
どこかにたどり着きたいと欲するならば、今いるところにとどまらないことを決心しなければならない。
*J・P・モルガン


必要なのは、勇気ではなく、覚悟。
決めてしまえば、すべては動き始める。


やりたければやればいい。
やりたくなければやらなければいい。
*辰吉丈一郎


人の言うことは気にするな。「こうすれば、ああ言われるだろう…」、
こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
*ジョン・レノン


他人の意見というノイズによって、
あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。
最も大事なことは、あなたの心の直感に従う勇気を持つことです。
それらは、あなたが本当に何になりたいのか既に知っている。
それ以外は二の次でいい。
*スティーブ・ジョブス


本当に大切なもの以外、すべて捨ててしまえばいいのに。
*高橋歩


選び疲れて眠るより、歩き疲れて眠りたい。
*砂漠の民の言葉



<仕事>
私は、事業のために映画を作っているのではなく、映画を作るために事業をしている。
*ウォルト・ディズニー


ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。
*ジョン・レノン


やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
褒めてやらねば人は動かじ
*山本五十六


崖っぷちギリギリ。
どれだけいけるかしかない!人生なんて。
月面着陸、あれがまさに真髄。
「月になんていけないじゃん」って思ってる所に、
誰かが「行くんだ」って言うから
あれだけ盛り上がるわけじゃん。
*紀里谷和明


根拠のない壁を作らないで下さい
「私は絵が上手くないから…」
「私は歌が上手くないから…」
「私は学校に行ってないから…」
「私は育ちが悪いから…」
「私は日本人だから…」
それは、根拠のない壁ですよ、それは!
誰がそれを植え付けたの?
厳しいんですよ世の中は、みなさん。
それくらい…世界は厳しい、本当に。
*紀里谷和明


信じてないことをやるのが嫌なの。
自分が信じていることしかやりたくないの。
*紀里谷和明



<人生>
いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である。
*セネカ


人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても、君が『ゼロ』なら、意味がない。
*ナカムラミツル


明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。
*マハトマ・ガンジー


オマエハ ナニガ ホシインダ?
それに答えられない人は、旅を続けられないぜ。
*高橋歩


自由を求めることなく、 自由を叫ぶことなく、
さりげなく、自由に生きればいい。
*高橋歩


未来のために、今を耐えるのではなく、
未来のために、今を楽しく生きるのだ。
*高橋歩


夢があろうとなかろうと楽しく生きてる奴が最強。
*高橋歩


人生はアップで見ると悲劇だが、ロングショットではコメディだ。
*チャップリン


十年後にはきっと、せめて十年でいいから
もどってやり直したいと思っているのだろう。
今やり直せよ、未来を。
十年後か、二十年後か、五十年後から
もどってきたんだよ、今。



<恋愛>
人を理解するより、信じよう。理解しようとすれば疑惑が生じ、信じれば愛が生まれる。
*大越俊夫


ずっとヒーローでありたい
ただ一人 君にとっての
*Mr.Children 「HERO」


一番大切な人を、一番大切に


「今回の人生は、最後まで、この人と一緒に生きよう」
そう想ったから、結婚したんだ。
*高橋歩



何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。
誰かを愛するということは、誰かを愛さないということ。
*高橋歩



<命>
心配すんな、どうせ死ぬんだ。
*軌保博光


人間、今が一番若いんだよ
*永六輔


人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね。
*本間丈太郎


あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日。
*カシコギ

__________________________


…以上、好きな言葉集でした…と、終わろうとしたけれど、
ふと、もう一つ、書き残したいと思った詩があったことを思い出した。

世界一周から帰国した、2008年8月2日の日記で紹介していた詩。

それを、ブログで読み返して、
部分的に抜粋しようと思ったのだけれど、とても抜粋できるものじゃなくて、
全ての言葉が、重なるようにして、心に突き刺さるので、
詩をそのまま掲載させて頂くことにした。

先程の言葉集のテーマで切り分ければ、
「恋愛」、または「命」になるのかもしれないが、
テーマ云々、という話は置いておいて、
こういう、本当に温かい気持ち、心の底から湧き出る気持ち、
そして、死を感じながら生きる気持ちを、
毎日、忘れてはいけないなと、改めて気付かされる、
僕の中で、大切な詩です。


この詩の作者は、
アメリカ同時多発テロで救助のために
貿易センタービルへと突入したレスキュー隊の中の一人で、
行方不明になってしまった29歳の消防士が 生前に書いたものです。
__________________________


「最後だとわかっていたなら」

作・ノーマ コーネット マレック



あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう



あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 
抱きしめただろう



あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう



あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう



たしかにいつも明日はやってくる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい



そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも 
明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを



明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから



微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を 
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと



だから 今日 
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう



「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

人生の残り時間

  1. 2009/07/07(火) 03:17:20 
  2. カテゴリー:★語り日記 
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人生を仮に80年として。



これに365日をかけると…
29,200日

これに24時間をかけると…
700,800時間

これに60分をかけると…
42,048,000分

これに60秒をかけると…
2,522,880,000秒


人生の時間は、およそ平均するとこれだけということが分かる。
・・・単位が分数、秒数になると、数字が大きくて、いまいちピンと来ない。

________________________________


僕は今、29歳だから、
僕の人生の残り時間を計算してみる。

80歳まで、残り51年。



これに365日をかけると…
18,615日

これに24時間をかけると…
446,760時間

これに60分をかけると…
26,805,600分

これに60秒をかけると…
1,608,336,000秒



日数で見ると、短い気がするが、
それでも、いまいちピンと来ないので、
例えば、80年を1年(365日)と想定して、
29歳は何日になるかと計算してみると、132日。

1月1日からスタートしたと想定すると、
もう、5月12日だ。

冬を越して、春。暦の上では、立夏(5月6日)を過ぎている頃。

こうして置き換えてみると、
人生の半ばに差し掛かっているという実感が出てくる。


________________________________


さて、ここで、もう一つ計算をしてみる。

自分にとって大切な人の命が、残り20年と想定してみる。



これに365日をかけると…
7,300日

これに24時間をかけると…
175,200時間

これに60分をかけると…
10,512,000分

これに60秒をかけると…
630,720,000秒



果たして、7,300日という日数を
長いと感じるか、短いと感じるか。

________________________________


さらに、別の大切な人の命が
残り3年と想定してみる。


これに365日をかけると…
1,095日

これに24時間をかけると…
26,280時間

これに60分をかけると…
1,576,800分

これに60秒をかけると…
94,608,000秒



残された時間は、残り1000日とわずか。


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これが、残りの命が1ヶ月だったら…


残りは30日。

これに24時間をかけると…
720時間

これに60分をかけると…
43,200分

これに60秒をかけると…
2,592,000秒



________________________________



人生の過ごし方は人それぞれ。
変に気負う必要は無いと思う。


ただ。

あたりまえのように一日を過ごした人がいれば、
一方で、
今日一日を必死に生き延びている人達がいる。


その事実を忘れないようにしたい。



大切な人生の残り時間。

その時間が、こうしている間にも、
着実に少なくなっているということを、
思い出して、毎日を生きていこう、
ふと、そう、思った。

就職活動終了! 〜第2の人生のスタート〜

  1. 2008/12/31(水) 17:55:55 
  2. カテゴリー:★語り日記 
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さて、だいぶご無沙汰していました。


おそらく、以前、ブログを見ていた方は、
11月上旬に更新が途絶えてしばらく経っている間に、
このブログを見ることも無くなってしまったかもしれませんね(笑)

一方で、帰国後、しばらく経ち、
しかも、9月のサブプライムローンを発端とした
世界的な不況が起こったこともあり、
おそらく、僕に対して「社会復帰が出来なくなって、
この世から消えてしまったのでは?」という憶測も
そろそろ流れ始めていたのではないでしょうか(笑)


えー、まず言っておきますと、
「んなわけない!!(笑)」


帰国後は、9月半ば以降は、
人と再会することを止めて、
次の人生に向けての準備に集中してました。

そして、この度、無事、就職先が決まり、
就職活動が終了しました!


というわけで、以下、テーマ別に文章を書きました。

あまりに思うことが多すぎて、相変わらずの長文で恐縮ですが、
皆さん!お正月休みを利用して、是非、読んでみてくださいね(笑)


さて・・・あと数時間で年越しですね。
皆さんにとって、来年も素晴らしい年になりますように!!!


____________________

■帰国後〜就職活動について


帰国後からの動きは、以下の通りでした。


帰国後、1ヵ月半ほどは、体調を崩してしまい、
同時に、多くの方に久々に再会させて頂いたことで、
あっという間に時間が過ぎてしまいました。

その後、前職でお世話になった先輩方等にも相談に乗って頂きながら、
自分なりに人生設計を練り直し、
業界研究を進めつつ、ビジネス書を読み漁って勉強をしていました。
(一方で、実は、プライベートの面でも、
 大きな選択をしたのですが・・・。)


そして、人生&キャリアプランを明確化した上で、
11月より本格的に就職活動をスタートしたのですが、
約1ヵ月半の怒涛の活動によって、
結果的に、6社より内定を頂くことができ、
その中より、1社、就職先を絞り込むに至りました。


就職活動を本格化する際に、
「年内には就職先を絶対に決める」ことを目標にしていたので、
正直、無事終えられて、ホッとしました。



「年内に決める」とは言え、
実際に採用活動に動きがあるのは12月中旬までであり、
実質的には、約1ヵ月しか時間が無い状態からのスタート。

しかも、会社の期が入れ替わる時期でもなく、採用枠も少ない。

また、世界一周は、職務ではないので、
あくまで就職活動上は、
「ブランク」として見られてしまうこと。

さらにタイミングが悪いことに、
100年に1度と言われる不況も勃発・・・。


こうした、風速100m級の「向かい風」の中の
就職活動スタートでした。


しかし、多くの方に支えて頂いたこと、
また、この不況下においても、
私のような人間を評価頂けた企業があったことで、
何とか、活路を見出すことが出来ました。

本当にありがとうございました。
この先も、その感謝の気持ちを忘れず、
仕事に取り組んでいきたいと思います。


____________________

■就職活動中に、面接でお会いさせて頂いた企業の皆様へ


このブログの存在は、
就職活動中に使用していた職務経歴書に記載していました。

社会でまっとうにキャリアを詰まれて来た方々の中に、
「世界一周」を実際に経験された方はまずいません。

これは、裏を返せば、
僕のようにブログの存在を載せずとも、
口頭で伝えれば、
いかようにも内容を作り変えることが出来ることを意味します。


つまり、分かり易く言えば、
「世界一周してきました」と言っても、
実際は、ボケーと、ダラダラしながら、
酒を飲んで目的なく放浪して過ごしたり、
「ワーキングホリデーで海外に行ってました」と言っても、
実際は、日本人ばかりが働く飲食店でアルバイトをして、
英語も使わず、日本人同士で遊びまわっていたとしても、
そうしたことを言わずに、嘘の話を作り出せてしまうということです。


しかしながら、僕は、ブログに書いてきた内容は、
自分でも限られた時間の中で、気合を入れて書き残したと思っていますし、
何より、「ありのままの自分を見て頂いた上で、判断してほしい」という思いで、
職務経歴書に載せることにしました。


それもあり、実際に、職務経歴書を通して、
ブログをご覧頂いた方もいらっしゃると思います。

その方々に、この場を借りて、改めてお礼を申し上げたいと思います。


活動中、本当に多くの企業の方にお会いする機会を頂きました。

人事担当者の方、現場責任者の方、
そして、経営者の方・・・。


もちろん、それは面接という場でしたが、
お話の中で、多くのアドバイスや、考え方を教えて頂き、
本当にありがとうございました。


本来であれば、なかなかお会いできない方々であり、
大変お忙しい中、貴重なお時間を頂戴し、
お話させて頂けたのは、私にとって、大きな財産となりました。

これを糧として、この先のチャレンジを
勇気持って臨んでいきたいと思っております。


広いようで狭いこの世の中、
また、どこかでお会いさせて頂くことがあるかと思いますが、
その際は、何卒よろしくお願い致します。


____________________

■就職・転職活動の現実


まず始めに・・・

当たり前ですが、就職・転職活動に関する正しいアドバイスは、
人材紹介会社の専門のキャリアアドバイザーの方などに、
相談して下さい。


ただ、おそらく、このブログを見ている人には、
世界一周や長期旅行を将来やってみたいと思っている人もいるかもしれません。

その方々が気になるのは、旅行中の情報はもちろんですが、
本音は、「で、帰国後はどうなっちゃうの??」ということだと思います。


そんなわけで、世界一周を終えて、
その後、この大不況下において就職活動をした僕なりに感じたことを
ここに書き残しておきたいと思います。

何か参考になることがあれば、幸いです。
(なお、この話は、あくまで、
 一般的な企業に勤めることを前提としたケースですので、
 資格などを取得して、専門職などに就かれる方には、
 参考にならないと思います。)




まず、いくつか、厳しい話をします。


まず就職活動を経て、僕が感じたことは、
「こんなにも再チャレンジがしづらい世の中なのか・・・」ということでした。

ここで言う再チャレンジとは、
再就職することだけではなく、
自分なりのキャリアを再構築することを含みます。


例えば、僕の場合、
前職は経営コンサルティング会社に4年2ヶ月勤めていたわけですが、
これが、他業界への転職しようとすると、
当たり前ですが、その業界は「未経験」ということで、見られます。

中には、「この業界で2年以上の経験者のみ募集」という求人内容もあるなど、
そもそも応募できないような企業もありました。

これは、かなり悔しい思いを感じました。


自身としては、経営コンサルティングを通じて、
日々、経営者の方と接する中で、経営を疑似体験しながら
学ばせて頂いて来たものと思っていましたが、
「業界未経験なのでダメです」と言われてしまうと、
どうすることも出来ません。

個人的には、どのような業界であれ、
そもそも、経営を知らなければ、
ビジネスリーダーになることは出来ないと思うのですが、
あくまで、転職上は、即戦力が求められるので、
ピンポイントで必要とされる能力がその人に無ければ、
評価してもらえないケースがあるということです。


だからこそ、一貫性を持って仕事に臨むというのが、大切になります。

「何でもいいや」というスタンスで仕事をすると、あとで痛い目に遭います。
また、言われるがままに、仕事を受けてこなしていくだけでも、ダメです。

「私は、この能力を身に付けるために、この経験を積むために、
 この仕事に取り組んでいる」という明確なテーマを持って、
自分で仕事を選んでいく必要があります。

そして、結果を出して、
さらに高い能力を必要とする仕事を与えてもらえるようにする必要があります。




次に、就職には、学歴社会が色濃く残っているということです。
(これは、転職活動というより、新卒の就職に大きく関係すると思いますが)

一般的に言われるような一流企業に入り、
その中で役職を得ていくためには、
(実名を挙げてしまいますが)はっきり言って、
東京大学、一橋大学、慶応大学、早稲田大学あたりを出ていないと、
話になりません。

(学力的に)それ以下の大学になると、
まず、就職活動において、効力を発揮しません。

ましてや、大学を卒業していないとなると、
さらに厳しい環境になると考えられます。


これは、何とも悲しい話ですが、現実です。


ただし、個人的には、分からないでもないです。

というのは、全体を押しなべて考えると、
確かに、学力の高い大学に入っている人は、
学習意欲が高いですし、
思考も鋭く、また、志も高い傾向にあると思います。

だから、企業側としても、選考の一つの基準として
「学歴」という尺度を持って評価するのは、当然の話です。

(なお、個人的には、学歴なんてくそくらえ、という気持ちでいます。
 そんなことに気を取られずに、
 本当の実力を身に付けることのほうが大事です。
 実際、優秀な経営者を見れば、学歴なんて関係ないことが分かります)




また、次に、年齢の話です。

僕は現在、28歳ですので、
これ以上の年齢における転職活動の経験はありませんが、
はっきりいって、
同じ状況で30〜34歳であれば、
相当厳しかったと思いますし、
35歳以上であれば、ほぼ就職できなかったと考えられます。

ただしこれも、企業側から見れば、
同じ能力であれば、年齢が若い人を採りたいので(将来の幹部候補であること、変な癖がついていないこと、給与が安く抑えられることなどが理由)
仕方ないとも言えます。

年齢で人を測るのはどうかと思いますが、
これまた、悲しい現実です。



ところで、世界一周などをしている間には、いわゆる無職になるわけで、
この職業を離れている「ブランク」の期間の企業からの見られ方ですが、
これは、僕が実際に就職活動をしてみたところ、
明確に、大手企業からは、厳しい目で見られました。
(ここで言う大手企業は、上場企業であったり、
 未上場でも、従業員数千人規模の企業です)


これは逆に考えると、
大手企業の中途採用の募集に対しては、
それなりに同じ業界で経験を積んだ猛者達が応募してくることを考えると、
仕方ない面もあると思います。

企業の求める人材像にも寄るので一概には言えませんが、
例えば、大手広告代理店の中途採用に対して、
同じ業界で6年経験を積んでマネージャー職も経験してきた人と、
コンサルティング業界4年経験積んでいて、
その後、(企業側からすればよく分からない)離職期間が空いている人と、
書類応募段階で、どちらを選ぶかと言えば、
どう考えても、前者でしょう。

ただ、中小企業になると、様々な人材を求めますし、
安定志向ではなく、ベンチャー志向を持った人が求められますから、
書類応募さえ通過すれば、
あとは、面接でコミュニケーションがしっかり出来れば、
活路は見出せると思います。


何れにせよ、
「今の現実が嫌になって日本を飛び出した」とか、
「無目的にボケーっと放浪の旅をする」というのは、
キャリアの面というよりも、
人生を描く上で、避けたほうが良いと思います。

世界に飛び出すのであれば、
「何のために海外へ行くのか?何を得たいのか?」それを、
明確に自分の中で描いた上で行くべきです。


また、個人的には、期間を決めて臨んだほうが良いと思います。

期限無く、飛び出してしまうと、
何をしたらいいのか分からなくなります。
(実際、僕も、数年間、世界を旅し続けている人にも出会いましたが、
 どうも、旅をすること自体が目的になってしまっている人のように見えました)

1年なら1年と、期限を決めることで、
より濃い時間を過ごせるようになります。




さて・・・
これら、キャリア転換の難しさ、学歴、年齢、ブランクなどの壁により、
就職活動は、困難を極めます。

しかも、今は100年に1度の大不況。

暗い話ばかりで嫌になりますが、現実です。


____________________

■今の世の中を生き抜くために


では、こういう現実の中で、僕らはどうすればいいのでしょうか?


そのアドバイスを(自分に言い聞かせる意味でも)ここに記載します。



まず、一番大事なことを書きます。

それは、「今日1日が、あなたのキャリアとなる」ということです。

学生であっても、社会人であっても、同じです。
今日1日が、あなたの人生となり、キャリアとなります。



つまり、一般的に一流企業と呼ばれる企業に勤めていながらも
誰でも出来る簡単な仕事ばかり選んで1日を過ごしても、
中小企業であっても目的を持って難しい仕事に取り組んでも、
また、何もせず、何となくテレビを見てボケーっと過ごしても、
それらの1日が、平等に、あなたのキャリアとして積み上げられるということです。


「1日」というのが重要で、
この1日、1日が、短いようで、
1年として積み上げられた時に、
とんでもない差になって現れるということです。


分かり易い例を言えば、
同じ年の社会人を見てみると良いと思います。

企業の役員、または経営者にまで飛躍した人もいれば、
役職を与えられず、簡単な仕事を任せられるに留まっている人もいると思います。

これは、才能の差ではなく、
1日、1日、どのように過ごしたのか、積み重ねが大きな差となって
結果が出たことになります。


だからこそ、毎日を大事に臨むことが、とても大切になります。
もっと言えば、「1日を、120%で生きる」覚悟を持つということです。




それを前提条件とした場合、
その意識を持って行動するために必要なことは、
「何に向かって、何のために今日を生きるのか」ということです。

分かり易く言えば、人生プランを描いて、
その目標に向かって、今日やるべきことをやることです。


「何だか今の仕事はつまらないなぁ・・・」
「あの上司と人間関係がうまくいかない・・・」
「何かいいことないかな・・・」
「平日の間、仕事を耐えれば、週末の楽しい趣味の時間が待ってる・・・」
なんていう考えの人は、多いのではないのでしょうか?


そうした方に、
「あなたにとって幸せとは?生きがいとは?仕事とは?
 そして、それらを踏まえた上で、描きたい人生プランとは?」
といった質問を投げかけると、
「うーん、そうなんだよねー、そう言われてみると・・・何だろうね・・・?」
という形で、スカッと答えが返ってこない人が多いように思います。


つまり、自分の人生がどこに向かっているのかも分からず、
そのため、今日の1日を、
何のために生きているのか分からなくなってるのです。

これでは、毎日が辛いと思います。



こういう時には、(というか、本来は常にですが)、
改めて(または初めて)、自分の人生設計を作成してみるのがいいと思います。

こうした本は、たくさん書店でも売っていますので、
具体的にはそれを見るといいと思いますが、
個人的には、この先25年間分作るのが、良いと考えています。


ただし、ビジョン(目標)に向かって、
ブレイクダウンして逆算して今を生きる考え方は、
万人向けではありません。


この考え方が自分に馴染まないのにも関わらず、
「これを絶対にやらなければダメだ!」と無理に自分にムチを打って、
身動きが取れなくなって、
結果的に、精神的に折れてしまう人もいるからです。

そういう場合は、
自分の「価値観」を大事に生きていくことを思い出すのが良いと思います。
つまり、「自分の好きなこと、やりたいことをやる」人生を進むということです。

「やりたいことを、精一杯やる」という積み重ねが、
結果的に、キャリアになっていくという考えです。



皆、自分に対して、
「今やっていることは、本当にやりたいことだろうか?」と問うてみると良いと思います。

すぐに、「私は、心からやりたいことをやれている」という人は、
少ないのではないでしょうか。


やりたいことが見えていない人もそうですが、
やりたいことが分かっていても、我慢している人もいると思います。

その場合には、改めて自分の生き方を見直して、
制約条件に捕らわれず、どうやったらそれ(=やりたいこと)が出来るのかを考えるようにして、
自由、かつ建設的な考えで臨むと良いと思います。



僕は、やりたくないことをやるよりも、
やりたいことをやったほうが、より価値あるものを生み出せると思いますし、
それが、結果として社会に評価されるものになると思います。

だから、「こんなこと(=今やっていること)は、やりたいことじゃない」と思う人は、
今すぐ、見直してみる必要があると思います。


____________________

■就職活動の秘訣


あと、最後に・・・
就職活動において、秘訣をお伝えします。

それは・・・


「応募しまくること!!!」です!!


人材紹介会社の人いわく、今の転職市場からすると、
だいたい、10〜15社受けて、
1社内定が取れるぐらいの確率だそうです。

であれば、少なくとも、
50社ぐらい受けて、5社程度内定を取り、
その中からより自分の希望に合った会社を選ぶぐらいのことが望まれます。

本来は、目標(企業)を絞って、ピンポイントで狙い撃ちする
就職活動が理想だということは分かっていますが、
そんなことが出来るのは、
よっぽど優秀なキャリアを持っている人だけです。


「就職活動がうまくいかない」、という人は、
怒涛のように、受けまくる覚悟が必要です。

50社で決まらなければ、100社受ければいい、
それでもダメなら、1000社受ければいい。


不況とはいえ、世の中には何十万社という企業があるのですから、
社員の応募をしていようが無かろうが、
全部の会社に直接電話を入れて、社長に直接会って、
土下座してお願いすれば、仕事は見つかるはずです。

それでもダメなら、自分で会社を作って起業すればいいです。
もちろん、寝る間も惜しんで、考え、行動し続けることが
成功するための前提ですが。



僕は旅を通して、
発展途上国で、失業率が何十%を超えているような状態で、
小さな子供達が路上で物を売って何とかその日のパンを買って
飢えをしのいでいるという現実を見てきました。

それから見たら、日本は恵まれています。

もちろん、苦しい状況に追い込まれている人もいます。

僕だって、これからが、第2のスタート地点。
本当に、危機感でいっぱいです。
でも、「絶対に昨日の自分にだけは負けないぞ!」という気概でいます。

競争は、人とするのではなく、自分とするものです。


みんな、頑張りましょう。

____________________


・・・何だか、自分でも書いていて、
だんだん説教っぽい内容になってきたので、
ここらへんで止めておきますが、
就職活動を通じて、いろいろと感じたことがあったので、
書き残すことにしました。

何だか、新聞やニュースでは暗い話ばかりですが、
誰しもが、楽しく、生き生きと過ごせるようになるといいですね。

そして何より、健康であることが、大切ですね。


あっという間に、今年も終わりますが・・・
また、来年もよろしくお願いします!!

「旅と人生、そして幸せについて」

  1. 2008/10/17(金) 09:09:41 
  2. カテゴリー:★語り日記 
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「人生とは旅であり、旅とは人生である」と言った人がいるけれど、
僕も、それはその通りであると思う。


では、ここでいう「旅」とは何だろうか?

僕が思うに、旅とは、人それぞれの形があると思うが、
個々人が考える「幸せ」を最大限感じられる環境を生み出すための活動と考える。

ややこしい話だが、
要は、生きてるからには誰もが幸せのほうが良いだろうし、
幸せを得るために活動すること、それが、旅であり、人生であるということだ。


僕は、自分の生きる目的を
「一度だけの生を与えられた限りは、
 自分の、そして周りの多くの人の人生を豊かにするため」
と考えているが、
ここで言う「豊か」とは、
分かりやすく言えば、「幸せ」ということになるだろう。


もちろん、周りの多くの人の人生について
好影響を与えられる存在になれればそれに越したことはないが、
まずは、自分自身が幸せを感じること、
そしてより大きな幸せに向かっていくこと、
それが何よりの原動力になるだろう。

ただ、ここで一つ前提として大切なことは、
幸せになるためには、自分の幸福感を把握しておくことだろう。

自分がどういう時に幸せを感じるのか、
どうなればもっと幸せを感じられるのか、それが把握出来ていないと、
何をしたら良いのか分からなくなってしまう。


なお、極論から考えると、
僕が考える最も幸せな状態とは、
「今、この瞬間、いつ死んでも良い」と思える状態にあることだと考える。

その状態が、日常から続くようにすれば、これほど幸せなことは無いだろう。

言い方を変えれば、結果ではなく、プロセスに意味を持たせ
そこに楽しみを見出すこと、幸せを感じること、
それが一番重要なキーワードと言えるだろう。


また、松下幸之助さんは、
「幸せは、その時々によって変わる」と述べているが、
その意味においては、人生を歩んでいくにあたり、
定期的に、自分にとっての幸せを見つめなおすことも必要になるだろう。

また、相田みつをさんは、
「しあわせはいつも じぶんのこころがきめる」と書いたが、
まさにその通りで、幸せというのは、自分の捉え方次第でもある。


心の持ちよう次第で、白紙の人生に
自分の好きな色を塗っていくことが出来るということだ。


では、僕にとっての「幸せ」とは、何だろうか。
これは難しい問いでもある。

なぜなら、この旅を通してずっと考え続けてきたが、
あまりに多くの人と出会い、その生き方を見てきたことで、
その価値観、人生観の多様性を知ってしまったためだ。

そこから、自分への落とし込みに関しては、
まだ途中段階と言える。


断片的に散らばっている自分なりの幸福感を拾い集め、
一つの軸に育てあげていく必要があると考えている。

しかしそれは、頭でずっと考えていても答えが出ないこともでもある。
歩きながら、探りながら、それを組み立てていくこともであるからだ。

この先の未来は、誰にも分からない。
それは、様々な人間、
そして環境がそこに関わるために、変化が予測できないためだ。

しかし、人生の方向性を決めるのは、誰でもない自分である。


この先の人生も選択の連続であると思うが、
どの道を選ぼうとも、その軸に据えておきたい考えは、
「それが好きであることか、夢中になれることか」ということだ。


とある書籍の中に、
人間の幸せには「快楽」と「充足感」という二種類があると書かれてあった。

瞬間的に得られる快楽は、簡単に手に入りやすいが、それは一時的なものに過ぎない。
一方で、充足感が得られる活動というのは、その活動をしている最中は、
目標に対して時として困難にぶつかり、苦しいと感じることもあるもあるが、
それを乗り越えた際に、より大きな幸せが得られる活動であると言う。

であるならば、僕は、ここでいう充足感が得られる活動に
人生を歩んでいく上で、常に身を投じられればと思っている。


それこそ、1日24時間、365日、
それに没頭出来るような活動対象が見つけられたら、
全てのサイクルがうまい方向に回り始めると思う。

この旅の最中、スイスのバーゼルで知人のお宅に
お世話になっている際に、日本のTV番組「情熱大陸」や、「プロフェッショナル」の録画を
これでもかというぐらいに見させていただいたが、
全ての出演者に共通していたことは、
「それが好きだから、没頭出来るから」こそ、
人並み外れた活動を続けてこられたということだった。

まさしく、「成功をするためには、成功するまで諦めないこと」である。

そのためには、自分の心の活力が続く活動対象に身を投じるしか、
方法がないと思う。

また、活動対象を選ぶだけでなく、
自分自身の中における、幸せの軸=幸福感を、
見失わず、日々、思い出し、それが得られる活動を続けていく必要があるだろう。

そうでなければ、人間は弱いから、必ず途中で折れてしまうと思う。


人が世の中を生きていくうえで、
その選択肢は様々で、個々人が置かれた環境は十人十色だろう。

生きていると、人生を左右する選択肢は、常に僕らに付きまとう。


どんな生き方をするのであっても、
生きていくことは、そんなに甘くない。
それぐらい、生きていくために注ぐパワーというのは限りなく必要と考える。


僕は、世の中の仕組みは万能ではないと思う。

なぜ、ここまで生きるために必死にならなければならないのかとさえ、ふと思うことがある。
それでも、この世界に、この時代に生まれたからには、
生きていくために、やらなければならないことなのだろう。

であれば、「やる」しかない。

そして、「やるからには、とことんやる」しかないのだ。


・・・今、人生のシフトチェンジの時を迎えていると、自分で思う。
これからの人生が、本当のスタートになりそうだ。

とにもかくにも、ゼロからのスタート、
実行あるのみ!!

「生と死について」

  1. 2008/10/17(金) 08:59:43 
  2. カテゴリー:★語り日記 
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深いテーマを掲げてしまったのだが・・・
あえて、このテーマに関しても、旅を通して感じたことを述べたいと思う。


そう、「生と死」に関しては、誰しもが考えることだろうし、
そうしたことについて書かれた書籍も多数出ている。

しかしながら、別に僕は専門家でもなんでもないし、
そもそも、「生と死」に関する、答えなんて存在しない。


あくまで、僕が旅を通して感じて、至った結論なのだが・・・

「生と死」

これは、分かりやすく言えば「0か1、存在するか、しないか」の違いだけだと、
僕は思った。

「死は生と表裏一体」なんてことは良く言われるし、
それはそうだと思うんだけど、結局、分かりやすく言えば
「存在するか、しないか」だなと、僕は思う。


それを感じたきっかけは、
インドのコルカタで行ったマザーハウスでのボランティアと、
同じくインドのバラナシで見た火葬場だった。

人間、どんなハンディキャップを背負おうと、
生きているならば、そこに存在するならば、笑顔を浮かべることが出来る。
人に触れることが出来る。

マザーハウスの施設でお会いした人々は、
皆、心の中で笑っていたように思う。

そう、僕らが勝手に抱くような悲観的なイメージではなく、
実際にそこに行き、手を差しのべ、一緒に時間を過ごすことで、
その人達は、笑ってくれた。僕も、笑うことが出来た。

それが出来ること、それ自体が、生きているということ。

もちろん、心の中では笑顔になりきれない人もいるだろう。
でも、笑顔を浮かべられないことも、人それぞれの自由とも言える。

その自由が与えられているということは、
そこに「存在しているということ=生きていること」そのものなのだ。


もちろん、極論からすれば、
死を選ぶことも、人それぞれの自由。
死ぬことが出来る自由を持っているということは、生きているということ。

死んでしまっては、死を選ぶことすら出来なくなる。
そこに、存在していないのだから。

もちろん、僕は自ら死を選ぶということは、あってはならないと考えているが。
なぜなら、一度死んでしまったら、周りの人が悲しむだろうから。
そして、二度とこの世の中に生き返ることは出来ないから。

どうせ誰しもいつか寿命で死ぬなら、生きている間の時間を使って
再チャレンジしたほうが、「生」を楽しめる、まっとうできるんじゃないかと思う。

・・・そんなことを考えると、
今、こうして生きていること自体への感謝と、奇跡について
本当に幸せでありがたいと思うし、
「ああ、僕は今生きてるんだな。」と、改めて感じることが出来る。



ところで、この「生」の対極が「死」となるわけだが、
これはもう、前述の通り、「存在しない」ことに他ならない。

そう、存在しないのだから、どうしようもない。
自分ではなく、周りの人が亡くなったとして、どんなに悲しくても、
実在はしなくなるわけだ。

もちろん、気持ちの面では、
その人の魂が生きている、周りに存在すると思うことは出来る。

しかし、その亡くなったからの能動的なアクションは起こりえないし、
僕らからも、直接的な触れ合いは、出来なくなってしまう。

ただ、それだけが、「死」というものの、本質だと僕は思う。

結局、何だかんだいっても、死んだら、
そこで世の中からは、いなくなってしまうのだ。

実際、インドのバラナシのガンジス川のほとりで
人の体が火葬されていく光景を目の前で見ていると、
「ああ、死って、こういうことなんだな。」と思う。

人の死というのは、誰しもの目の前に存在することで、
人はいつ死ぬかわからないし、僕も、明日、事故で急死するかもしれない。

でも、一方で、人間、誰しもいつかは死ぬ、という思いがある。

目の前で、死体が焼かれていく光景を見れば、
それが鮮明に伝わってくる。

人間の体が燃えて灰になっていく光景を見ていると
何だか、死というのもが、とても身近に感じられた。

それほど、構えるものでもなく、大げさなことでもなく、
「ああ、人って死ぬんだな。あっさりしているな。」と、僕は思った。

でも、確実に、この世の中から物理的な存在が消えてしまうことは確か。

それが、死のもつ意味だと思う。

死んだら、何も活動出来なくなる。



・・・そんなことを考え抜いていくと、

僕自身としては、この旅を通じて「死」というものは、全く恐くなくなった。

それまでは、だんだんと老いていく自分が恐かったし、
それこそ、一秒一秒、死に近づいていくことが、恐くてしかたなかった。

何をしていても、「こうしている間に、死に近づいている」と、恐怖を感じていた。
それこそ、テレビを見ている時も、
「ああ、こうして2時間の番組を見たことで、2時間、死に近づいてしまった」と・・・。


でも、そんな想いは、旅を通して消えていった。

なぜなら、「だって、人間はいつか死ぬんだからね。」という、
シンプルな理由だからだ。

だったら、それを恐がっていても、どうしようもない。
そこには、たった、数年〜数十年の違いがあるだけ。

どうせ、みんないつかは死ぬ。ただ、それだけの話。

そう思ったら、全然、死なんて恐くなくなった。


もちろん、重病にかかってしまい、苦痛を伴ってだんだんと死に近づくのであれば、
辛い思いも伴うと思う。

例えば、癌を患ってしまい、それでも明るく生きて、
しかも、癌と戦う人などを見ると、本当にすごい精神力だと思う。

自分にそれが出来るかと言えば、とてもそんなことは出来ないとさえ思う。


でも、極力そうした要因を排除して考えれば、
死って、誰しも、いつかは訪れる瞬間であり、
終わってみれば、意外とあっけないものであったりもする、というのが、
僕の感じたことだ。

だから、死を恐れても、どうしようも無いと言える。
どうせいつか死ぬなら、
余計なことを考えずに、
生きている間を輝かせるために時間を使ったほうがいいのではないか、
単純に、合理的に考えると、そういう答えが出てくる。


それが僕の「生と死」に関する、旅を通しての結論だった。


生きていると恐怖がつきまとうことが、この先出てくると思うが、
思い出したいことは、
この日本という、世界的にもとてつもなく突出した、恵まれた国生きているということ、
そして、そこで五体満足に生きている(存在している)こと、
死を選ぶ自由を持っているということ、そういうことだ。

死を選ぶ自由を持っているということは、死にたければいつでも死ねる、
ということではなくて、そういう選択肢を持っている=人間として立派に生きている
ということを意味する。

つまり、どんなに困難であったとしても、
そこから人生をリセットすることも出来るし、
何より、生きてこの世に存在することが出来るからだ。

もし、命を失ってしまったならば、元も子もない。
人生をリセットすることすらできない。


また、もう一つ大切なことは、そうした自由を得られていること自体が
そもそも恵まれているということだ。

また、インドの話になってしまうが、
まだ身分制度が色濃く残っていると思われるインド社会において、
どんなに頑張っても、そこから這い上がれない人達は、本当に多く存在すると思う。

実際、僕は現地で通りを歩いたり、
リクシャー(人力車)の人達と接することで、その現実を見てきたが、
それは本当に凄まじいものだった。


コルカタの通りを歩いていると、
もう手足も十分に動かなくなった老人が地面に這いつくばって、
全身裸で、雨で溜まった水溜りの水を使って、
お風呂代わりにしていた。

それでも、体の汚れが取れることを喜んでいる表情のように、僕には見えた。


また、今日生きるための食事すらないのか、
道の隅で頭を下げて、ただひたすら念仏のように何かを唱えている老人もいた。
その体は痩せ細り、歩くことすら出来ないような姿であった。


・・・こうした現実を目の当たりにしてみると、
僕らが、この日本で五体満足に生きていることは、どれだけ恵まれていることだろうか。

「そんなことは分かってるよ。」という人がいるかもしれないが、
じゃあ、インドでそうした生活を送る人と、同じことが出来るだろうか、
みんな、そんなことは出来ないだろう。僕も、それは出来ないと思う。

だからこそ思うのは、
日本でどうなろうと、結婚相手と離婚しようと、自己破産しようと、
それは、とんでもなく恵まれた環境の出来事の一つに過ぎないわけであって、
それらを選択できる立場にあるだけでも、幸せだということだ。


どんなに頑張っても、身体面で、または身分差別を理由に、
路上生活から脱出できない人達、そんなインドの人達であっても、
生きたい、よりよく生きたいという想いをもって、必死に生きているではないか。

その人達を思うと、僕らが日本でおかれた現実を前にして
どんなトラブルに遭ったとしても、死を選ぶことは、いかがなものだろうかと思ってしまう。


いや、正直に言えば、
僕自身もそれでも恐怖が完全になくなったと言えば嘘になるかもしれない。
しかし、この旅を通してみた現実を思い出すことによって、
それを精神的な支柱として添えることができ、
また新しい一歩を踏み出すことが出来ると思う。


・・・話は脱線してしまったが、
だからこそ、僕は、生きているからには、生き続けようと思う。

人間誰しも、生きてさえいれば、
「死を選ぶことの自由」を持ち続けることが出来るのだから。

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