1月26日(土) ポーランド(クラクフ)観光→ハンガリー(ブタペスト)→ルーマニア(ブカレスト) <車中泊>

  1. 2008/01/31(木) 20:46:46 
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8時過ぎに起床して、荷仕度を開始。

昨夜一気に洗った衣服の整頓に時間がかかり、
9時頃までかかってしまった。

その後は、朝食を食べて、
宿に荷物を預けてチェックアウトして
10時前にクラクフの市内観光へ出発。


クラクフは、アウシュビッツの見学拠点としてだけでなく
町自体も趣があって魅力的なので、楽しみだ。

まずは、宿を出て南に歩いて、
バルバカンを通り、フロリアンスカ門をくぐって、旧市街へと入った。





◆バルバカン。
 円形の砦なのだが、こうした形の砦が現存しているのは
 ヨーロッパでも珍しく、その中でも最大級のもの。



旧市街に入ると、昨夜と同様に、
中央市場広場まで歩き進んだ。

夜とは違い、昼間は明るいので、建物が良く見える。
この広場の周辺には、素晴らしい建物がたくさんある。





◆広場の中心に位置している、織物会館。
 建物も立派なのだが、この中は、マーケットになっていて、
 たくさんのお土産屋が並んでいた。





◆市場の脇にある、聖マリア教会。
 この教会に向かっている最中に、ラッパの音が聴こえてきて、
 それが何とも哀愁があったので、聴き入ってしまった。
 ガイドブックを読んでみると、それは、
 昔、モンゴル軍がクラクフを襲った際に、敵襲を知らせるために、
 この教会の上からラッパが吹かれたらしい。
 このラッパの吹き手は、モンゴル軍の兵が放った矢で喉を貫かれたらしい。
 それを慎んで、今でも、1時間毎にラッパが吹かれているとのこと。



中央市場広場には、多くの人が出ていて、
その明るく、どこか自由な雰囲気は、見ているだけで気持ちが良かった。

広場を後にして、そのまま南に歩いていった。

途中、地元の大衆食堂的存在である、
Bar(バール)の、「Bar Grodzki」があるかどうかをチェックしておいた。

昨夜は、探してみた2件が潰れているという悲しい自体だったのだが、
この「Bar Grodzki」は開店していたので、昼食で訪れることにした。


道を歩いていると、多くの教会が見られ、
どの建築物もとても美しく、また、通りの雰囲気も良かった。

歩いて、ヴァヴァル城の横を通り過ぎて、
そのままさらに南に位置する、ユダヤ人街のカジミエーシュに行ってみることにした。


ここは、ヨーロッパ最大のユダヤ人街であり、
映画「シンドラーのリスト」の舞台にもなった、
クラクフのユダヤ人ゲットーがあった場所。

第二次世界大戦前には、6万人のユダヤ人がこの地区に住んでいたそうだが、
虐殺や収容所への移送によって、2年後には10分の1にまで
人口が減ったそうだ。


この地区を歩いてみると、
地区全体としては、ごく普通に機能しているように見えた。

ただ、ところどころ、古めかしい建物が建っており、
その壁面の黒ずんだ色や、塗装の剥げたものを見ると、
暗い過去を感じさせられるものがあった。

ただ、町の中には、のみの市のようなものが開かれている場所もあり、
今では、平穏な生活が送られているように見えた。





◆道沿いで開かれていた市場。
 これはいつ使うのか?と思えるようなガラクタまで売られていたのだが、
 そこに集まる人たちの真剣な眼差しを見ると、何だかワクワクするものがあった。
 やっぱり市場は生活感が感じられて良い。





◆ユダヤ人街の一角にあった建物。
 左手前はシナゴーク(ユダヤ教徒の礼拝所)
 何とも言えない雰囲気が残されている。



この地区に点在するシナゴークを見学しながら、
中心部を練り歩いていった。

歴史的な建物を見るもの良いが、
こうして、人々が生活している地区を練り歩くことのほうが
個人的には好きだし、意味があるように思える。

今回、このカジミエーシュ地区を歩けたことは、
とても良い経験となった。


カジミエーシュ地区を歩き終えると、再び道を戻って、
次は、ヴァヴァル城に行くことにした。

裏手の坂から上っていくと、
クラクフの町を流れるヴィスワ川沿いを眺めることが出来た。

ただ、見えたのは新市街であり、
ごく普通の新しいビルが立ち並ぶ景色だった。


ヴァヴァル城の敷地に入ると、
壁面にたくさんのツタが生い茂っているなど、雰囲気が出ていたのだが、
さらに奥にある、大聖堂が何とも立派だった。





◆ヴァヴァル城の大聖堂。
 3つの礼拝堂があり、数世紀に渡って、
 ルネサンス様式やバロック様式が加えられて出来上がっていったものらしいが、
 それぞれの建物が我先にと主張しているようにも思えて、
 その静かな迫力が良かった。





◆大聖堂の奥には、旧王宮の建物もあった。
中は有料で見学できるようだが、僕は中には入らなかった。
円形のアーチと柱のバランスが整っていて、
スマートな気品の感じられる王宮だった。



それにしても、ヨーロッパはどこに国に行っても王宮が存在する。
それだけ、王という存在が絶対的なものだったのだろう。


一通り見終えてから、ヴァヴァル城の正門を出て、
ホテルの方向へ戻ることにした。

途中で、昼食として、
先程、開店を確認しておいたバールへ。

中に入ると、シンプルなメニュー表が壁にかけられていたのだが、
幸い、英語が併記されていたので、
ガイドブックを見ながら、ポーランドの定番と言える料理を注文することに。

注文したのは、生キャベツやソーセージを長時間煮込んだ
ビゴスと呼ばれる家庭料理と、野菜スープ。

値段は合計で15ズウォティと安価で
かつボリュームがあり、美味しかった。


昼食を終えて、すぐに再び外に出て歩き始めた。

というのも、先程聴いた、
聖マリア教会のラッパをもう一度ちゃんと聴きたかったので、
1時ちょうどに間に合わせたかったためだ。

聖マリア教会に戻る途中に、
フランシスコ修道院、市庁舎などの建物も駆け足で見ながら、
中央市場広場にある聖マリア教会に、1時5分前に到着。


そして、ベンチに座って待っていると、
1時ちょうどに、ラッパの演奏が始まった。

やはり、何とももの悲しいメロディーで、
ぐっと来てしまう音色だ。

見ていると面白かったのだが、
30秒ほどのフレーズを吹き終えると、
教会の頂上付近で実際にラッパを吹いている人が、
窓から手を振ってくれるのだ。

下から見上げている人たちがそれに楽しそうに応ずる光景が良かった。

また、演奏は4方向の窓それぞれから吹かれるので、
僕は教会の周りを回りながら、何度も演奏を聴いて、
手を振る姿を見てしまった。


それを終えると、最後に、
少し余っていた現地通貨を使い切るべく、
スーパー探しを始めた。

すると、近くに小さな商店があるのを発見したので、
そこに入り、使い切ることにした。

余っていたのが、22ズウォティ(約880円)と、ちょっと多かったので、
買うものの選択にかなり迷ったのだが、
結局、バナナ、水、ヨーグルト、パン、トイレットペーパーを購入した。

そして、最後にごくわずかに余ったお金は、
ホテルに帰る途中に見つけた市場で、
グラム売りのみかんを2個買うことで、無事、全て使い切ることが出来た。

毎度毎度、この現地通貨を使い切るのは大変だ。


ホテルに戻ると、荷物を受け取って、
駅まで歩き始めることにした。

先程買った多くの食材が何とも重くて、
一歩一歩進むのが大変だったのだが、
途中、休みを取りながら、何とかバスターミナルへ到着。


そして、無事、3時発のバスに乗り込むことが出来た。

バスに乗り込もうとした際に、日本人旅行者の人に話しかけられたのだが、
昨日、アウシュビッツの観光の時に見かけた人だった。

バスの中では、かなり話し込んだのだが、
この人(S.Iさん)は、既に2年近く旅を続けているとのことだった。

上には上がいる…と思ったのだが、
既に南米を回ってきていたり、中南米や東南アジアなど、
僕が関心を持っている地域を回ってきた経験もあり、
いろいろと質問攻めをさせてもらった。

持ち物であったり、交通ルート、国際郵便に関してなど、
いろいろと勉強になり、まだまだバックパッカー道は奥が深いものだと感じた。


ちなみに、このクラクフ発、ブタペスト行きのバスは、
大きな観光バスではなく、何と、マイクロバスだったのだが、
椅子が硬くて、まったく倒れないので、体が疲れまくった。

乗客が少ないからマイクロバスにするのは勝手だが、
この質の悪い椅子を何とかしてほしいものだ。


途中、何度か休憩で停まったのだが、
その都度、外に出て体を休めるので精一杯。

かなり疲れた。


バスの車窓からは、のどかな自然風景が見られ、
綺麗な夕日を眺めることも出来た。

バスは、ポーランドを抜けて、いつの間にか、
スロヴァキアへ入っていた。

そして日も落ちて暗くなり、数時間走り続けると、
22時頃に、ハンガリーのブタペストに到着。

到着した時には、かなりぐったり来ていたのだが、
そのまますぐに、地下鉄でブタペストの南駅へ移動することに。

バスに一緒に乗ってきたS.Iさんとは、
途中の乗り換えの駅で別れることに。

短時間ではあったが、多くのことを教わり、ありがたかった。


ブタペストの南駅へ到着すると、
地下鉄の駅からごく近くにある鉄道の駅へと移動したかったのだが、
道が分かりづらく、道を聞いてみることにした。

すると、どうやら職の無い人達だったようで、
「道を教えたんだからお金をくれ。」と言われてしまった。

まぁ、お金は当然払わなかったのだが、
まだ若い人達なんだから、頑張って自分の手で稼いでほしいものだと思った。


そして、鉄道の駅に到着すると、これが何とも薄暗くて、
本当にここから国際列車が出るのかと不安になってしまった。

とりあえず、ベンチに荷物を置いて、
夕食がてら、クラクフで買ったものを食べて待っていたのだが、
電光掲示板には、ルーマニアのブカレスト行きの電車の表示があったので、
どうやらこの駅から出るようだ。


そして、出発時間が迫ってきたのだが、
どうも、該当する電車が到着しているように思えない。

10分遅れという表示もあったので、まだかな…と思っていたのだが、
さすがに出発時刻だろうと思ったので、おかしいと思ったら、
何と、目の前に停まっていた電車の、前方の車両が、
ブカレスト行きということが判明。

僕の前には、後方の車両が停まっていたのだが、
そこには、ドイツのミュンヘン行きという表示が出ていたので、
そうだと思っていたのだが、何と、良くみたら車両の連結の中央辺りで、
微妙に連結が離されていたのだ。

何ともわかりづらいというか、アナウンスぐらいしてくれと思った。
急いで車両に乗り込み、何とか無事に出発に間に合った。


電車で席を確保すると、
そのまますぐに眠りにつくことにした。

今日は午後からひたすら移動を続けているが、
こうして、バスからさらに鉄道に一気に連結していけるのも、
鉄道パスと、時刻表を持っているから可能なこと。

やはり、鉄道パスを持っていると強い。
バスの旅では、このような正確な動きはなかなか困難だ。

1月25日(金) アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所見学 <クラクフ泊>

  1. 2008/01/26(土) 09:06:41 
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7時30分に起床し、準備をして、
8時から朝食を。

朝食は宿を出て、すぐ右手のレストランで食べられるのだが、
これまた場所の説明がわかりづらく、困ってしまった。

この宿、全体的に説明がわかりづらい、
朝食チケットに簡易の地図を書くとか、工夫すればいいのに…。

お客さんから意見を吸い出す仕組みが無いんだろうな…。


なんて、朝からちょっと考えてしまったのだが、
まぁ、朝食の質は、安宿らしく、なかなか悪かった。

ハムも超薄いし、
トマトは何だか変な味がするし、パンはパサパサ。

いや、ここは安宿、朝食が付いているだけありがたいと思うことにしよう。


さて、朝食を終えて、そのままバスターミナルへ行くことに。

今日は、アウシュビッツ強制収容所を見学に行く日だ。

9時頃から多数のバスが出ているようだったのだが、
バスターミナルへ付いて聞いてみると、
アウシュビッツ行きのマイクロバス(片道10ズウォティ)が出ているようで、
それが、次は9時30分に出るとのこと。

バスターミナルの地下に降りて、
バスを聞いて回ると、すぐにマイクロバスを発見。

無事、車内で往復チケットも購入出来た。


バスは、9時30分過ぎに出発。

クラクフから、アウシュビッツまでは、片道1時間30分ほどなのだが、
バスが出発すると、ひたすら寝て過ごした。

とはいえ、マイクロバスの椅子が硬く、かつ狭くて寝心地が悪く、
途中で何度も起きてしまった。


11時頃になり、バスは、アウシュビッツの裏側の入り口へ到着。

ついにやってきた…という感じだ。
どこかしら、重い空気が流れているようにも感じる。

裏門から入り、しばらく歩くと、
アウシュビッツ強制収容所(今は博物館)の入り口へ到着。


ちなみに、このアウシュビッツは、現在は、無料で入場できる。
確かに、この地で入場料を取ったりしたら、それもどうかと思うのだが、
無料で開放して、より多くの人に歴史を知ってもらおうとする姿勢は
大変意味があるものだと思う。


入り口を入ると、各国の言語のガイドブック(小さな冊子)が、
3ズウォティで販売されていたので、日本語版を購入。

意外と細かく解説されていたので、理解の助けになった。

博物館内では、アウシュビッツの歴史の紹介VTRが放映されており、
まずはそれを見た。


僕としては、アウシュビッツの存在を知ったのは、
1993年公開の映画「シンドラーのリスト」だった。

あの映画は、本当に鮮烈で、今でも脳裏に焼きついている。


アウシュビッツ強制収容所は、言うまでもなく、
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下の土地から、
ユダヤ人、ポーランド人、ロマ、
共産主義者、反ナチス活動者、同性愛者などが連れてこられて、
あるものは強制労働をさせられた後に殺され、あるものは即座に殺されたという。

その数は、28の民族、150万人に上ると言われている。

人間の理解を超えるような悲劇が、この地で起きていたのだ。



今まさに、その実際の地に足を踏み入れようとしていることが、
信じられないというか、現実としてあったことなのだと、改めて、実感が湧いて来た。


VTR視聴後は、ついに、博物館の奥にある、
アウシュビッツ強制収容所の中へと進むことになった。


ここがその場所だったのか…と、不思議な感覚だった。





◆アウシュビッツ強制収容所の入り口。
 掲げられている「ARBEIT MACHT FREI」という文字は、
 「働けば自由になる」という意味。
 何とも酷い言葉である。



入り口をくぐると、まさに、「シンドラーのリスト」でも見た、
収容所が広がっていた。

敷地内には、全部で30ほどの棟があるのだが、
いくつかは、中に入れて、展示物が見られるようになっている。

僕は、まずは敷地入って左手にあるガス室から見学することにした。





◆敷地の端にある、「ガス室兼焼却炉」
 ここに囚人が連れてこられて、毒ガスで殺されていった。
 毒ガスを浴びさせられる前は、温水シャワーを浴びるのだが、
 それは、汚れを落とすためではなく、
 体温を高めて、毒ガスの浸透を早めるためだったという。
 もちろん、シャワーを浴びる人たちは、それを知らされることは無かった。
 そして、ガス室の隣には、死体を焼くための焼却炉があった。
 このガス室は、中に入ることが出来るのだが、
 それはもう、息が詰まるような光景だった。
 とても、言葉などでは表現できない。
 ただ僕に言えることは、「この歴史を絶対に繰り返してはならない」ということだ。



ガス室の近くには処刑台があった。
この強制収容所の存在が犯罪と認知され、
その後、当時の収容所の所長が、処刑台で死刑になったという。

ガス室の内側辺りからは、
強制収容所を取り囲む有刺鉄線が張り巡らされていた。





◆囚人が脱走しないように張り巡らされた有刺鉄線。
 この中を歩いていると、当時、ここに連行されてきた人々の
 何とも言えない閉塞感、絶望感が肌で感じられる。
 何も知らされないままに連れてこられて、
 そして、この有刺鉄線の中を歩いて収容所に入れられる瞬間、
 人々は、何を思ったのだろうか。



敷地の左手を見学した後は、
中央部から右手にかけてを歩いて見学することにした。

この辺りの建物では、内部に多くの展示品が並べてあり、それが見学できる。

囚人となった人々は、収容所に入る際に、
全ての物品を取られ、また、髪の毛も剃られ、写真撮影され、
カルテを作られて管理されていたという。

当時使われた毒ガスの空き缶、囚人から切り取られた髪の毛の山、
サンダルの山、義足・義手の山、バックやトランクの山、衣服の山…
一つ一つが、言葉を失うような光景であった。

一つの物が、一つの命を意味する。
それが、当時、軍人達によって無造作に略奪されて、
積み重ねられていったと思うと、怒りを通り越して、唖然としてしまう。

物が積み重なっている=命の山を見て、
この歴史の意味の重さを、またより深く思い知ることになった。



さらに、施設の右手に進むと、そこには、死の壁と呼ばれる場所があった。





◆死の壁。
 ここは、多くの人が銃殺刑にあった場所。
 この壁に立たされ、何千、何万人もの人が殺されていった。
 壁の両脇には、窓が閉ざされた壁の高い建物がある。
 その意味は、死刑執行を他の囚人に知られないためだったという。



死の壁の脇に立つ建物は、死のブロックと呼ばれ、
そこで、軍人達による囚人の死刑が判断されて、
あるものは即座に銃殺刑に、
あるものは建物内の部屋に閉じ込められて飢餓死させられ、
またあるものは、密閉した部屋で窒息死させられたという。

そうした部屋も、見学できるのだが、
もう何とも言えない、この空間で起きていた悲劇が、
目の前に蘇るようだった。



…こうして、アウシュビッツ強制収容所の見学を3時間ほどかけて終えたのだが、
それでも、とても捉えきれないものがあり、
何とも表現出来ない思いでいっぱいになってしまった。



アウシュビッツ強制収容所の見学後は、
そこから3kmほどにある、第二のアウシュビッツ二とも言われる、
ビルケナウ強制収容所へ行くことにした。

夏季であれば、両施設間を運行するバスがあるようだが、
冬季は無いようなので、歩いていくことにした。
(しかし、バスが何本も追い抜いていったのを見ると、
 どうやら運行があったようだ…)


3kmの距離は近いようで遠く、ビルケナウに到着した時には、
かなり足に疲労が溜まってしまったのだが、
こうして、自分の足で歩いていくのも、歴史をゆっくり振り返るようで良い。

ビルケナウは、アウシュビッツに比べると、
敷地の大きさはかなり大きい。

当時は、約300棟もの施設が建っていたようで、
ここでも、数え切れないほどの命が奪われていった。





◆死の入り口、と呼ばれたゲートをくぐり抜ける1本の線路。
 ここに、列車で囚人となった人々が連れてこられ、降ろされた。



ビルケナウに現存する建物はわずかなのだが、
それでも、実際に見学できるものもあった。

まずは、敷地の左手にある、レンガ造りの棟を見学したのだが、
中は床が無い(土や泥)で、衛生環境は言えないほどひどく、
また、石で作られた3段ベットがあり、そこに、藁のようなものを敷いて、
ギュウギュウ詰めの状態で、人々が寝かされていたという。

このような環境であったら、どんな健康な人であっても、
たちまち体を壊し、精神力も失ってしまうだろう。

表現に語弊があるかもしれないが、
人間というよりも、動物が使うといった印象の、ひどい建物だった。


また、棟以外にも、トイレ用の施設なども見学できたのだが、
トイレといっても、たくさんの穴が開いたコンクリートが敷かれているだけで、
とてもトイレと言えるものではない。

衰弱した人などは、そのトイレの穴に落ちて、死んでしまうこともあったという。





◆敷地左手に建っている棟の群れ。
 現存しない建物もあるのだが、
 例えば、ここには、小さな子供達だけが
 収容されていた棟が建っていたようだ。



ビルケナウも、ゆっくり見学したかったのだが、
この時期の閉館時間は15時ということを途中で知り、
残り1時間も無いことがわかり、駆け足で敷地内を回ることにした。

敷地左手の見学の後は、奥にある、
ガス室の跡地を見学することにした。


今は、施設が破壊された跡しか残っていないのだが、
それでも、施設内の機材などの跡もわずかに見ることが出来、
アウシュビッツ同様、ここで、
毒ガスによる無造作な殺人が行われていたことを理解することが出来た。





◆ガス室跡地。
 このような施設が、施設内に、数箇所あった。



時間は無かったのだが、何とか全て見たいと思い、
走って見学を続けることに。

さらに敷地の奥に進むと、
囚人から奪った物品を保管していた倉庫なども見られた。

また、他のガス室の跡地も、数箇所残されていた。


敷地の一番奥の辺りには、
死体を焼いた灰が捨てられたという池があった。

今では、本当に静かな池なのだが、
ここに、命の灰とも言えるものが、捨てられて、
水に溶けていったと思うと、
もう、僕には祈ることしか出来ないような心境になった。



池を通り抜けると、敷地の角辺りだったので、
入り口に向かって、折り返し始めた。

入り口からちょうど反対側辺りを歩いて戻ったのだが、
本当に広い敷地に、当時は、数多くのバラック棟が建っており、
一時は、10万人ほどの収容者がいたらしい。

とんでもないことだ。





◆当時は、この敷地に、数多くのバラック棟が建っていた。
 囚人となった人々は、この門をくぐると、二度と帰って来れなかったのだろう。





◆バラック棟。
 レンガ造りの棟もそうだったが、このバラック棟も、劣悪な環境。
 とても人間がいられるような場所ではない。



最後は、駆け足になってしまったが、
延々と続くバラック棟を見て、歴史と命の積み重ねが、
何かを訴えかけてくるようだった。



ビルケナウ強制収容所の見学を終えて、
クラクフ行きのバスに乗るために、再び、アウシュビッツに戻ることに。

タクシーは、5ズウォティとのことだったが、
ここまで来たら、歩いて帰ろうと思い、また来た道を歩いて戻った。

アウシュビッツに戻ると、人がほとんどおらず、
博物館も閉まっていたので焦ったのだが、
近くの人にバス停の位置を聞いて、そこで時刻表を確認すると、
30分後にバスがあることが分かった。


しばらくすると、バス停にだんだんと人が集まってきたのだが、
途中で、ふと気付いたのが、
僕は、マイクロバスの往復チケットを買っていた、ということだった。

普通のバスに乗って帰ったら、
このマイクロバスの帰りの分が無駄になるという当たり前のことに気付き、
遠くを見ると、行きのバスが到着した裏門に、
マイクロバスが停車しているのが見えた。

そして、走ってマイクロバスまで行くことにした。

すると、何とか間に合って、
これが帰りのマイクロバスということだった。

行きのバスで帰りもちゃんと確認しておくべきだった…。


バスに乗ると、さすがに歩き続けた疲れが出た。
約5時間は歩き続けたから、時速4kmとしても、
20kmは歩いたことになる。

バスは、1時間30分程度かけて、
17時30分頃にクラクフのバスターミナルへ戻って来た。


バスを降りると、ついでに、明日の移動のチケットを購入することにした。

まずは、昨日聞き忘れていた、
ユーレイルグローバルパスを利用した時の鉄道運賃を聞くために駅窓口へ。

確認すると、パスを利用しても、バスよりも高いことが分かったので、
鉄道という手段は却下することに。


そして、バスターミナルへ戻って、行き先を考えたのだが、
乗り継ぎの接続、そして、ウクライナのキエフは、
距離が遠いことと、現地の情報を僕が持っていないこともあり、
今回の旅では行かないことにして、
結局、ハンガリーのブタペスト行きのバスチケットを、
129ズウォティで購入した。


チケット購入後は、そのまま夕食を食べに行くことに。

ガイドブックに載っている、バールと呼ばれる大衆食堂に行こうと思ったのだが、
数年前に、2軒とも潰れてしまったことがわかり、
あきらめて、結局、マクドナルドで食べることに。

まぁ、たまにはマクドナルドで食べておかないとね(笑)

セットで、13.7ズウォティと、
他のヨーロッパ諸国と同程度の価格だった。


食後は、宿に戻ることに。

明日、チェックアウトということが決まったので、
今夜は無料ランドリーサービスを使って、一気に洗濯することにした。

まずはシャワーを浴びて、今日着ていたものも洗うことに。

ランドリーは5kgが限度だったのだが、
ジャケットなども洗うことにしたので、1回では洗えず、2回に分けることに。

乾燥機も備わっていたので、
洗濯後は、じっくり乾燥させることにした。


その間、ロビーでパソコンを開いて、
写真の整理や、データのバックアップをすることにした。

日記が徐々に溜まってきていることが気になるが、
こうも夜行バスの移動が続くと、どうしても日記を書く時間がないので厳しい。


結局、洗濯と乾燥を終えたのは、0時頃だったのだが、
一つ、ミスをしてしまったのは、
革の手袋も、乾燥させてしまったことだ。

インドで買った安物の手袋ということもあるのだろうが、
しわしわに乾燥してしまい、縮んでしまったのだ…。

貴重な手袋を、単純なミスで失ってしまったのは、ショックだった…。
(しかし、後日、使い続けたら、だんだんと革が延びてきて、
 一応、使える状態にまで戻った)


大量の洗濯物を持って部屋に戻ると、やはり、
部屋の人はみんな寝ていた。

とりあえず洗濯物をベットの脇に置いて、
荷物整理は明日の朝することにして、寝ることにした。

1月24日(木) ポーランド(ワルシャワ→クラクフ) <クラクフ泊>

  1. 2008/01/26(土) 08:25:42 
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ワルシャワ行きのバスは特に問題もなく、順調に走っていたのだが、
夜中1時30分頃だろうか、一時停車して、人が降り始めた。

こんな時間に一体どこの停留所なんだ…早くドアを閉めてくれ…と思ったら、
どうやら、ポーランドの国境らしく、その検査のようだった。

横の席に座っていた、何とも無表情で見た目が恐い、
ロシア人っぽい人がいたのだが、
その人に「お前の荷物は車内にあるだけか?」と言われたので、
「いや、下の荷物入れにも預けているけど?」と答えたら、
「じゃあ、バスの外に降りて検査を受ける必要がある。」と教えてくれた。

仕方なく、寒い外に出たのだが、
特に検査もなく、荷物も見られることもなく、
しばらく待っていたら、警官達にバスの中に入って良いと言われた。


国境審査を受ける度に、複雑な思いになるのは僕だけだろうか。

こんな審査なく、お互いの国が安全に交流できる世の中になればいいのに…と、
僕はいつも感じてしまう。

そうはいっても、世の中から、
犯罪者というのは、無くならないのだろうが…。


バスの中に戻ると、そのまま再び眠りについた。



…そして、7時前になって、起きてみると、
どうやら、ワルシャワの到着が近いようで、
しばらくすると、ワルシャワのバスターミナルに到着した。

眠気まなこで、とりあえずバスを降りて、
バスターミナルの建物の中に入ることに。

まだ観光開始には早いので、時間を潰すかな…と思いつつ、
ワルシャワにある、2つのバスターミナルのうち、自分がどちらに着いたのかすら分からない。

ただ、何れのターミナル周辺も治安が悪いようで、
かつ、町の中心までの交通の便も悪い。


とりあえず、次の行き先のクラクフ行きのバスを調べてみるか…と思い、
窓口で聞いてみたら、以下の通りだった。

<出発> <到着> <料金>
 7:30  12:50  43ズウォティ(約1720円)
10:00  15:30   39ズウォティ
11:10  18:00  39ズウォティ
12:00  17:50   45ズウォティ


当初は、午前中でワルシャワを観光して、
午後からクラクフに移動しようと思っていたのだが、
クラクフの宿は混んでいることが多いようなので、あまり遅くに到着したくはなかった。

と、そこで、ふと思い立ったのだが、
もう、ワルシャワはパスして、このままクラクフに行ってしまおうかと思った。

ワルシャワは、観光という意味では見所は少なく、
どちらかというと、旧共産主義から脱却してから復興途中の町並みを見る、
ということになる。

それもそれで良いのだが、総合して考えて、
パスすることにした。


その時、既に7時15分過ぎだったのだが、
とりあえず現地通貨を手に入れないとバスに乗れないので、
急いでATMを探し回ったら、窓口のすぐ横にあることを発見!

ひとまず50ズウォティだけ引き出して、バスへ直行。

何とかバスの発車に間に合って、
運転手に聞いたら、その場でチケットを買えるということで、
無事、乗車完了。


ワルシャワ到着から30分足らずの慌しい出来事だったが、
クラクフへの移動が再び開始した。

まぁ、リトアニアのヴィリニュスから考えると、
クラクフまでにワルシャワを経由しても、
ルート的には、全く無駄の無いルートだったので、問題はない。

バスは発車後、すぐに郊外へと進んでしまったので、
ワルシャワの中心部を見ることは出来なかったのだが、
窓の外を見ていると、1国の首都とは思えないような、
何とも地味というか、生活感そのままの町並みが続いていた。





◆バスの車窓からの、ワルシャワ郊外のマンション。
 日本では一昔前に良く見られた、団地のようにも思える。



あっという間のワルシャワを終えて、
バスの中では、再び寝ることにした。

しばらくして起きてみると、辺りの風景は田園風景へと変わっていて、
全く起伏の無い、平坦な土地が遠くまで続いていた。

ヨーロッパは全体的に、それほど起伏が無い国が多いが、
特にポーランドは、起伏が少ない国の一つだ。





◆バスの車窓から。
 北海道のような、本当にのどかな風景がどこまでも広がっていた。



途中、何度か停車しながらも、
バスは延々と走り続け、やっとのことで、13時前にクラクフに到着。

昨夜からずっとバスに乗り続けていたせいか、
かなり体が鈍ってしまった。


クラクフのバスターミナルに到着後は、
ひとまず、次の行き先のオーストリア(ウィーン)、
またはハンガリー(ブタペスト)、ウクライナ(キエフ)の交通の便を調べることにした。

まずはバスターミナルの国際切符売り場の人に、
それぞれの行き先の時刻表と料金を調べてみた。

バスの時刻に関しては、どれも1日1便のようで、
料金は、ウィーン、ブタペスト、キエフの順に高くなる。


バスを調べた後は、鉄道を調べようとしたのだが、
当然ながら、バスターミナルでは分からないようで、
近くの鉄道駅の窓口まで行くことに。

これが何ともわかりづらくて、何度も行ったり来たりしてしまった。

しかも、手元に持っていたガイドブックが、2003年度と古いものだったため、
クラクフ駅前に出来た巨大なショッピングセンターが地図に反映されておらず、
それもあって迷ってしまった。

やっとのことで、鉄道駅の窓口に到着し、料金を聞いてみると、
時刻はトーマスクックの時刻表通りだったが、
料金は、バスの約1.5倍から2倍と、高いことが判明。

それを受けて、後日乗る時の移動の接続を考えたのだが、
これがなかなか難しい。

別に、今すぐ決断する必要も無かったのだが、
考え込んでしまい、気付けば15時頃になってしまっていた。


それから、宿探しを開始することに。

「ヨーロッパ2000円の宿」に載っている、
「クラクフ Oleandry ユースホステル」に行ってみることにした。

駅前のトラム(1回乗車2.5ズウォティ)で、15番に乗り込み、
5つ目の駅で下車。

といっても、トラムは、信号でしょっちゅう停まるし、
車内は混んでいるから、どこが5つ目の駅なのかわかりづらくて困った。

何とか目的の駅で降りて、そこから歩いてユースホステルまで行くことに。


これまた場所がわかりづらく、
近くの商店の人に道を聞いて、何とか到着。

ユースホステルとは思えない古びたビルで、
看板も小さなものしか出ておらず、既に通り過ぎてしまっていたようだ。


中に入ると、どうやら窓口が空くのは16時からのようで、
30分ほど、ロビーで待つことにした。

そして、16時になって、窓口の人が出てきたので、
部屋の空きを聞いてみたら、今日は満室と言われてしまった。

「なにー!?なぜ330ベットもある、
 このユースホステルが満室なんだ…??」と耳を疑ってしまったが、
どうすることも出来ない。

マドリッド、パリ以来の、宿満室状態。


とりあえず外に出て、近くにある、
「スチューデントホテルZACZEK」というところの空きを聞いてみることに。

すると、ドミトリーは無いようで、
シングルならあるとのこと。

しかし、1泊60ズウォティと、高い。


それはきつい…と思い、他を探すことに。

すると、受付の人が、
「ここに、個人経営のユースホステルがあるから行ってみたら。」ということで、
地図に場所を書き込んでくれた。

料金は、1泊25ズウォティ程度らしい。


しかし、その宿までは、
距離にして2kmはある。

この重い荷物を背負って2km歩くというのは、
かなりハード。

しかも、さらに郊外の方向に行くので、
もしこの宿でダメだったら、中心部に戻るのが大変。



どうするか…と迷ったのだが、
この受付の人の話を信じて、歩いて行ってみることにした。

外に出ると、大きな野原のような公園が広がっていて、
その先に宿があるようだ。

辺りは暗くなってきていて、
野原を歩いて行くことが、何だか途方も無いことのように思えてきた。


それでも歩くしかないので、
気合で歩き進めた。

宿があると聞いた場所付近まで到着した頃には、
もう体力の限界。
体がボロボロ。

しかし、どう見ても、宿らしきものが見当たらない。

おかしいな…と思い、近くの喫茶店に入り、
道を聞いてみることに。

すると、かなり曖昧な感じで、
確かにその地図の場所辺りに、宿があるというので、
もう一度、歩いて行ってみることに。


しかし、どうみても、小さなサッカーコートと、
その脇のテナントハウスしかない。

とりあえずダメもとで、このテナントハウスに行ってみたら、
そこの従業員いわく、この裏にあるのがユースホステルだという。


「ええ?裏手って何も無いけれど…?」と思ったのだが、
再び外に出て10m裏手に行くと、そこには正方形の建物が。

敷地に入って建物を覗いてみたのだが、
どうもここはレストランらしい。

しかし、誰もいない。


「おいおい…一体、宿というのはどこなんだ??」と思ったところ、
レストランの建物から人が出てきたので、
宿の場所を聞いてみたら、
「その宿は閉まっている(潰れた?)よ。」という一言が…。

なんてこった…最悪の展開だ…。


ここまで頑張って歩き回ったのに、この結果とは…
やはり、余計な賭けはするものではなかったのだろうか…


脱力感でいっぱいだったのだが、
とりあえず、もう一度駅に戻るしかないので、
歩き始めることに。

辺りは真っ暗になり、風も強くて寒く、
もう荷物の重さで体がおかしくなりそうだったのだが、
とりあえず、最寄のトラムの停留所まで行って、
そこから15番に乗って、再び駅に戻ることにした。


幸い、トラムはすぐに来たので、それに乗り込んだ。
トラム内では、ガイドブックを開き、次の候補先への行き方を調べていたのだが、
何と、気付いたら、駅を通り越してしまっていた。

とりあえず急いで次の駅で降りたのだが、
今どこなのか良くわからない。

すると、5番のトラムが逆方向からやってきたのだが、
急いで行き先の張り紙を見ると、どうやら駅に向かうようなので、
それに飛び乗ることにした。


そして、やっと、駅にて下車することが出来た。

今度は、次の候補先の「クラクフ Grochowa ユースホステル」に行こうと思い、
バスの停留所まで行ってみたのだが、
「ヨーロッパ2000円の宿」に書いてあるバスの番号が見当たらない。

しかも、トラムの駅に行っても、その番号がない。
どうやら、既に情報が古く、変わってしまっているようだ。

これではたどり着くことすら出来ない。


もうどうにも手が無いので、
駅とバスターミナルの間にある構内の観光案内所に行って、
宿を紹介してもらうことにした。

観光案内所に宿を紹介してもらうのは、
この旅始まって以来初だ。


観光案内所に着くと、
すぐに2つの安宿を紹介された。

何だ…まだまだ安宿があるやんけ…と思いながらも、
そのうちの一つを選んで、予約もその場で入れてもらうことに。

で、2泊の予約が取れたのだが、
しっかり、手数料(1泊8ズウォティ×2)を取られて、
悲しい限り。

というか、予約を入れてもらうのは1泊だけにして、
あとは宿についてから自分で滞在数を増やせば良かった…と後で気付いた。

予約が取れた宿は、1泊32ズウォティと、
底値ではないが、無料インターネット、
キッチン、そして何と、無料ランドリーが付いているというところ。

この設備なら、高くはない。


宿は、駅から歩いて10分ほどの場所ということで、
再び、重い荷物を背負って、歩いていくことに。

途中までは良かったのだが、最後で道がわかりづらく、
2〜3人の人に道を聞いて、やっとのことで、
宿「DISSY DAISY」に到着。


この宿も、ロンリープラネットなら載っているのかもしれない。
情報さえあれば、自分で直接来るのに…と思いながらも、
とりあえずチェックインを。

チェックイン後は、早速部屋に荷物を置きに行ったのだが、
部屋の場所がわかりづらく、かつ、部屋のロック解除の方法もわかりづらく、
再び、フロントに戻って聞き直すことに。


ユースホステルの案内は、概してわかりづらく、
いちいち聞かないと答えてくれないのが僕としてはストレスなのだが、
いい加減、宿の仕様を全て1枚ものにまとめるといった、
当然といっていいことをきっちり出来ている宿はないものだろうか。

そのほうが、スタッフにとっても、説明の手間が省けて良いと思うのだが…
なぜ、そうしないのか、僕には理解できない。


僕がユースホステルを経営したら、
宿の仕様は全て1枚(または2枚程度)にまとめて、
かつ、必ず聞かれるような内容に関しては、わかりやすく簡潔に表にまとめて、
それをフロントの見えやすいところに貼り出すのだけれど。

もちろん、宿の料金も貼り出すし、
その他のサービスに関しても、一覧化して、
どんな宿泊客でも、一目で理解できるようにする。

宿の仕様をまとめた冊子も、主要言語全てのバージョンを用意し、
かつ、インターネットも、全ての言語が使えるようにインストールしておくだろう。

まぁ、こんなのは一例だけれど、
世界の安宿に泊まっていると、改善したくて仕方ない部分が他にもたくさんあって、
それが気になって仕方ない。

僕に宿を任せてくれたら、集客&満足度アップは間違いないと思うんだけどなぁ…(苦笑)


…話は反れたが、
その後は、無事、部屋に入ることが出来、やっとのことで、
荷物を置くことが出来た。

ずっと背負っていたせいで、荷物を置いた後も、体の節々が痛く、
骨がおかしな感じさえ受ける。


部屋に荷物を置いたのは、19時頃。
結局、宿探しで4時間という時間を費やしてしまったことになる。

とんでもない無駄な時間の使い方だ…。

何だか、ストレスが溜まり、気分転換をする必要があると思ったので、
今から外に出てすることは無いかなと思い、ガイドブックを開いて調べてみたのだが、
どうやら、ジャズが聞けるバーがあることが分かった。

そこで、とりあえずお腹を満たしてから、そこに行くことに決めて、
宿のキッチンを使って、パスタを作ることにした。

宿の食器は、あまり使われないのか、
ちょっと汚い状態だったので、何だかなーという感じだったのだが、
しっかり洗った後に使い、とりあえず、パスタでお腹を満たすことは出来た。

そして、20時過ぎになって、
ジャズバーに向けて、宿を出発することにした。


宿は、旧市街へ歩いて5分程度と、立地はまぁまぁ。

宿の前の道を南に下っていって、すぐに旧市街の入り口へと到着。





◆旧市街の通り。
 人通りは多くは無いものの、
 イルミネーションも灯り、活気はある。



そのまま道を南へ進んでいき、
中央市場広場まで到着。

そこには、織物会館などの趣のある建築物があり、
控えめではあるが、ライトアップもされていて、綺麗だった。


ジャズバーは、この広場沿いにあるのだが、すぐに発見。
「Harris Piano Jazz Bar」というお店。

そういえば、こうしたナイトスポットに訪れることは、
これまでの旅ではほとんど無かった。


お店は、入り口から階段で下って地下にあるのだが、
そこで、入場チケットを購入(5ズウォティ)

ガイドブックには、曜日によって無料と書いてあるが、
その情報も既に古いようだ(笑)

店内は、半分がテーブル席、半分がライブスペース兼テーブル席になっており、
聞いてみると、もうすぐライブが始まるらしく、
ライブスペースには、人が混雑して中に入れないほど。

とりあえず、ビール(7ズウォティ)を購入して、
それを持って、ライブスペースがギリギリ見える場所を確保。


すると、10分後に、ライブがスタート。

ジャズバーと聞いていたので、イメージは、
古典的なジャズミュージックが演奏されるのかな?と思っていたのだが、
このバンドは違った。

ジャズロックというのか、フュージョンというのか、
はたはたR&Bと言えばいいのか…
まぁ、ジャンル分けはどうでもいいのだが、
僕が個人的に好きな、大沢伸一の「MONDO GROSSO」のような音楽を作り出している。

ボーカルは女性だったのだが、
「MANDAY 満ちる」のようにも聴こえる音楽だ。


しかも良いのが、全て生演奏ということ。

ボーカル、ドラム、キーボード(兼バイオリン)、ギター、ベースという構成だが、
一部、キーボードでミクスチャーのような使い方がされていたが、
それ以外、基本的には全て生演奏。

いわゆる、「打ち込み」は一切無し。

ドラムとか、見ていて、
「本当にこのリズムを生演奏出来るものなんだな〜!」と驚いてしまった。

まさか、ジャズバーの演奏で、こんなに質の高い音楽が聴けるとは。
しかも、5ズウォティ(約200円)で!


ボーカルの女性は、
前髪の揃い具合、パフォーマンス、
顔、声質といい、見ていると「aiko」みたいだったのだが、
良い具合に音楽とマッチしていた。


また、ちゃんとVJも入っていて、
演奏する人にとっては眩しくて仕方ないだろうが、
見ている側からすると、音楽と映像の両方が楽しめて、
素晴らしい空間が生み出されていた。





◆演奏していたバンド(グループ)
 ただ、名前を控えておくのを忘れてしまった(笑)
 映像の光がすごすぎて、この写真も良くわからないけれど、
 まぁ、雰囲気だけでも伝われば…。
 


褒めてばかりなのだが、これが本当に良かったから褒めるほかない。
結局、最初の1時間30分程度のライブを終えて、
時間は22時過ぎだったのだが、もうしばらくいることにした。

それにしても、先程食べたパスタの量が多すぎたのか、
どうもお腹が痛くなってしまった。

だが…ここで負けては男が廃る、というわけで、
もう一杯ビールを注文することに。


宿の門限は、0時と聞いていたような気がするので、
帰りの時間も気になっていたのだが、
もう一回ライブを見てから…と思い、待っていたら、
再び、先程のバンド(グループ)が演奏するということに。


そしてまたまた1時間30分ほど、演奏を楽しませてもらったのだった。
後半は、1曲だけ、がらっと曲調の違う、レゲエのような曲があったのだけれど、
その曲になったら、観客が踊り出すわで、盛り上がって大変。

いやはや、宿探しの困難を吹き飛ばす、
楽しい時間を過ごさせてもらった。





◆お店の入り口の看板。
 毎日通っても良いと思えるようなジャズバーだった。
 


2回目のライブが終わると、23時50分頃。
そこから、急いで宿に戻ることにした。

宿に到着したのは、既に0時を超えていたが、
宿の門は開けてもらえた。
(ちなみに後日、聞いてみたら、受付は24時間オープンだって…
 あれれ、門限が0時なんて、何の聞き間違えだったんだろう…)


ドミトリーの部屋に戻ると、他の人は全て寝ていた。

その中、ごそごそと荷物を取り出して、
シャワーを浴びることに。

ドミトリー部屋はこれだから気を使って嫌だなぁ…。


シャワーを浴びた後は、アラームをセットして、
寝ることに。

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