5月15日(木) ブエノスアイレス滞在 <空港泊>

  1. 2008/05/29(木) 03:18:49 
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10時に起きて、行動開始。

まずは宿の朝食として、パンと紅茶を。
その後、荷物をまとめ始める。

南米に入ってから、ブラジルは暑かったものの、
それ以降、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ウルグアイと、
今は比較的涼しい国を回ってきて、さらにパタゴニアに来ていたので、
完全な冬服になっていたが、次に行くベネズエラは、いきなり夏といった感じ。

そのため、昨夜、ランドリーで全ての服を洗っておいたので、
一気に服を入れ替えることにした。

それもあって、意外と整理に時間がかかり、
全て終了してチェックアウトしたのは、12時15分頃。


ひとまず、大きい荷物を宿に預けて、
サンマルティン広場にある、
15時には閉まってしまう(9時からオープン)
アメリカンエクスプレスのオフィスに行くことにした

昨日、トラベラーズチェックのUSドル現金化の手数料を確認しておいたのだが、
100ドルまでは、2%、101ドル以上だと、1.25%とのことだった。

通常、一般の両替屋などでは、
トラベラーズチェックのUSドルへの現金化というのは受け付けていないことも多く、
現地通貨での現金化であっても、2〜3%の手数料を取られることがほとんど。

しかし、トラベラーズチェックの強みは、
現地通貨で現金化するのではなく、USドルの現金化が出来るということなので、
こうして、アメリカンエクスプレスで安くそれが出来るというのはありがたい。

ちなみに、世界中を旅しているものの、
今だかつて、アメリカンエクスプレスのオフィス(または提携の代理店)で
手数料なしで現金化出来ると聞いたのは、
ギリシャのアテネと、イタリアのローマだけ。

他は一体どこで出来るのだろうか…。


地下鉄に乗って、サンマルティン広場駅まで行くことに。

ちなみに、駅に行く途中のスーパーで、
先日買ったビールの瓶を返却したのだが、
2ペソが返って来た。

瓶を返却すると返金されるシステム、ちょっとうれしい。





◆ブエノスアイレスを走る地下鉄の駅構内。
 安全、かつ安く(1回0.9ペソ=約35円)で乗れる。
 乗り方がわかりづらい乗り合いバスより便利。



アメリカンエクスプレスのオフィスは意外と混雑していていたが、
現金化は問題なく終えることが出来た。
これから行く、ベネズエラ、コロンビア、エクアドルは、
USドルの現金があると便利なので(ベネズエラ、コロンビアは、
現地のATMだと、現地通貨しか引き出せないと予測されるので)
やや多めに両替を。

その分、しっかり分散して、
各所に隠し持っておかなければいけないのだが…。


両替を終えて、またすぐに電車に乗って、宿の最寄り駅まで。
そして歩いて宿に戻ったのだった。

この時、既に15時頃になっていたのだが、
ここからは、宿のリビングルームから電源を借りて、
パソコンで日記を書くことと、写真データのバックアップ作業をすることにした。


本当は、まだ行っていない、
セントロの東寄りの湾岸に位置する、プエルトマデーロ地区に行こうと思っていたのだが、
結構歩かないといけないので、ややしんどいのと、
日記をリアルタイムでキープしておかないと、この先のベネズエラ以降では
なかなか更新が出来ないと思っていたので、休憩も兼ねて、そちらを優先することにした。


ところで、先日、いきなりデータが消えてしまったipodなのだが、
パソコンのデータをipodに同期してみようとするも、
同期が完了し終わったタイミングで、
なぜか「不明なエラーが発生しました -48」というエラー表示が出てしまい、
同期が出来ない状態に。

「-48」というのが意味不明で、なんやねん!?と思ってしまうのだが、
ipodの操作ソフト「i tune」のヘルプ機能も、
インターネットにつなげないと見ることが出来ないようで、諦めることにした。

またそのうち時間があればトライしてみようと思うが、
どうも、残りの旅の期間では、ipodが使えなくなってしまったようだ。

うーん、長距離バス移動の時などは、かなり重宝するアイテムなのだが…
まぁ、仕方ないか。


でも、パソコンからであれば音楽は聴けるので、
ヘッドフォンをしつつ、その後は、日記に集中して、19時30分まで作業を進めた。

それを終えると、早速、いつものインターネットカフェへ。





◆何度も足を運んだインターネットカフェ。
 立派な外観(これでも)で、1時間1.5ペソ(約50円)は安い。
 ネットのスピードもそこそこで、問題なし。



そして、30分程度で、ブログへのアップ作業を終えて、
残り30分は、ベネズエラのエンジェルフォールとギアナ高地の情報収集を。

そこでは、かなり具体的な日本語での体験談を載せたページを発見したので、
役に立ちそうなページを、全てデジカメで撮影しておいた。
これは助かった。

やはり、事前の情報収集って大事なんだな…と当たり前のことに気付いた。

おそらく、長距離旅行をする日本人は、
高い頻度で日本人宿と呼ばれる、日本人だけが集まる宿に各地で泊まり歩いて、
そこの人達や、また情報ノートと呼ばれる、旅行者が様々な情報を書き残していく
ノートを見て、情報を集めていくのだろう。

しかし、僕は全然日本人宿に泊まらない。

少人数で行動を共にするなどは楽しいのだが、
なんだか、海外で日本人が、同じ狭い空間に群がっているのは、
それほど好きではない。

必ずと言っていいほど、マンガが多数置いてあり、
必ずと言っていいほど、一日中マンガを読んでいる人がいるので、
どうも、あの沈没(行き先未定の長期放浪者)した感じが、僕は、どうもダメだ(笑)

海外でマンガを読むというのも、ある意味、面白い過ごし方だが、
僕は、「海外に来て、何してんねん??」と、突っ込みたくなる性質なので。


さらに、日記に時間投下を大きくかけていることにより、
それほど他の旅行者とのコミュニケーションも少な目、
かつ、インターネットカフェでも、メールやブログの対応に時間が取られることもあり、
なかなか情報収集に手が回っていないのが現実。


本当は、それが最優先事項なのだろうけど…
おそらく、情報収集不足で、損をしていることが多々ある。

でも、1年間の世界一周だと、常に国や都市が移り変わるから、
いちいち、きっちり情報収集しようとしてたら、時間がいくらあっても足りない。

ある程度、もう行き当たりバッタリで、現地で全て確認、
かつ、多少の損(5ドル〜10ドル)は気にせずに、
時間優先で、何事も、ガンガン決断していったほうが、全体効率は良い。


そんなことを考えつつも、インターネットを終えて、
今度はすぐにレストランへ行くことに。

今日は最後のブエノスアイレス、
かつ、何も食べていなかったので、豪勢に日本食レストランへ(笑)

先日、チェックしておいた、
Independencia通り沿いにある(Independencia駅から徒歩3分ほど)
日本人会館の1階にある、日本食レストラン「コメドール・ニッカイ」に行くことにした。

時間は20時頃だったのだが、日本人会館のドアも開いており、
普通に店内に入ることが出来た。





◆店内の風景。
 何だか、海鮮ものを得意とする居酒屋チェーンの店内みたい(笑)
 次々と外国人のお客さんが入って来ていた。結構、繁盛してるようだ。



いやー、ボリビアのラパスに引き続き、また来てしまった日本食レストラン。
もう、長らく海外にいることによる、禁断症状が出てしまっているのだろうか(笑)

店内に入ると、日本人と思われる男性が店員の1人だったのだが、
その彼の、いまにも消えてしまいそうな
小さな声で「ブエナスノチェス(こんばんわ)」と言われたのだった。

この彼、寝癖も大変なことになっていて、髪がボサボサなのだが、
あれは大丈夫なのだろうか。

無愛想かつ、声も小さく、髪もボサボサ。
店内での動きも遅いし、テレビばっかり見てるし。

ここに訪れる外国人客から、
これが日本男児の典型例であると思われたら、
ちょっと恐いのだが(笑)


それはさておきメニューを見て、店員に聞いてみると、
どうやら、セットメニュー(32ペソ)は、日中のみのようで、
夜の営業だと、セットメニューが、44ペソのようだ。


12ペソ=約400円も違うのは、ちょっといただけない。
というわけで、泣く泣くセットメニューを諦めて、単品にすることにした。

そして、決定したのが、「味噌ラーメン」(笑)



なぜラーメンなのか、という感じなのだが、
比較的安く、ボリュームがありそうだったので、それにしたのだった。

また、この旅で、ラーメンは一度も食べていないので…。





◆これが注文した味噌ラーメン(22ペソ=約770円)
 味は普通に味噌ラーメンで、
 決して偽者の味(笑)ではなく、美味しい。
 やっぱり、おしぼりがちゃんと付いてくる。
 これは外国にある日本食レストランの凡事。



味噌ラーメンは、
訳分からないものが出てくると思ったら、大間違い。

予想以上にしっかりしていて、
日本の下手なラーメン屋よりよっぽど美味しい。



このお店には、次々と外国人客が訪れてきて、
僕がお店を出る頃には、かなり賑わって来ていた。

お店の外観は、「福」と書かれた緑色のちょうちんがあるという
ちょっと不気味な装飾なのだが、それがまた、
遠い日本を思わせて(そんな日本は実際無いけど)、客をひきつけるのだろうか(笑)


満足に食事を終えると、すぐに宿に戻って荷物を受け取り、
宿のスタッフから聞いた通り、
近くのIndependencia通りと、peru通りの交差点から、
86番のコレクティーボ(乗り合いバス)で、空港に行くことにした。

レティーロ駅近くから出ているエアポートバスだと、
35ペソと高いのだが、コレクティーボなら、1.5ペソ。

時間に余裕があり、土地勘も備わった今、
コレクティーボを使って空港に行くのは、
バックパッカーとして、当然の道だろう。


そして、交差点でバスを待っていると、
86番と表示されたバスは多数通るのだが、
どのバスの運転手に聞いても、空港には行かないと言われてしまう。

あれれ?もうこの時間帯は、空港に行かないのか?と思ってしまったのだが、
ちょうど、その頃、隣に来たおじさんが、何やら話しかけて来た。

そこで、「空港に行きたいんだけど?」と聞いてみると、
スペイン語でダァーっと返答が来たのだが、何だか良く分からない。


しかし、ちょうどそこにまた86番のバスが来たのだが、
そのバスのフロントガラスの中腹にある、行き先の電光掲示板を指差して
ここを見て判断するんだ!と言わんばかりのジェスチャーをしてくれたのだった。

なーるほど、そういうことか。

フロントガラスの上部には、86番と、さらに6つほどの行き先が書いてあり、
その中には必ず「AEROPUERTO(空港)」と書いてあったので、
どうなってるんだ??と思っていたのだが…。

それは、この86番の路線全体における、
各路線の最終目的地が併記されているだけのようで、
実際には、86番の路線の中で、それぞれ別の目的地のバスがあり、
それは、フロントガラスの中腹に掲げてある電光掲示板で判断するということなのだ。


分かりづらいこと、この上なし。
違う行き先なら、違う番号にして書いてくれればいいのに、と思いつつも、
それが分かったので、あとはバスを待つだけだ。

結局、バスが来たのは、10時10分頃。
バスを待ち始めて30分頃だった。


本当にセントロから35km先の空港まで行くのか不安だったのだが、
運転手に行くと、どうやら行くらしい。

それにしても、35km先まで、
1.5ペソ(約50円)で行けてしまうというのも、
僕にとってはありがたいが、意味不明な料金体系だ。


そして、バスに乗り続けること、約2時間。

なぜか乗客は窓を開けたがって、風がガンガン吹き込んで来て、
寒くて凍えそうになりながらも、何とか頑張ったのだった。

終盤は、もう乗客が誰もいなくなり、
僕1人で貸切バス状態に。





◆市内から空港へ向かうバスの車内。
 (揺れでぶれているので、写真を見たら酔うかも)
 序盤は、座れない人もいるほど混む路線なのに、
 終盤は、僕1人だけだった。
 この通り、1人だけとなると、車内も不気味である。



と、ここで、バスの運転手の動きに気がついたのだが、
何と、彼は、運転中に携帯電話でメールを打っているではないか!!

メール作成に集中しているあまり、前方もあまり見ていない。

これは危険。


僕の前職の同期であるT中君(年末年始にヨーロッパで合流)は、
仕事の移動中の時間の合間を縫って、
お目当ての女の子に必死に携帯メールを送っていたが、
あれは、あくまで電車での移動の話し。

バスの運転中に携帯メールは、危ないから勘弁してほしい。

さすがに、これまで世界を旅していても、
運転中に携帯メールをする運転手は見たことが無かったのだが、恐るべし…。
アルゼンチン、仕事に対しての適当さは抜群だ。


そして、ぴったり2時間で、空港に到着したのだった。(この時、0時15分)

5月14日(水) ブエノスアイレス観光 <ブエノスアイレス泊>

  1. 2008/05/16(金) 07:07:50 
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朝9時に起きて、朝食を食べるためにリビングルームへ。

パンとジャム等がキッチンに置かれてあり、
後はお好きにどうぞ、という感じの朝食。

パンをいくつか食べて、朝食を終えることにした。


そして、今日はブエノスアイレスの中で
大きな公園のあるパレルモ地区へ行ってみることにした。

ここで、何とケニアの旅以来使っていなかった
超久々登場の、サッカーボールを持っていくことにした。


外に出ると、地下鉄に乗って、
「San Martin」駅へ。


駅の階段を上がって外に出ると、
なぜか、鼓笛隊(というのか?)の人達がたくさんいて、
準備を進めていたのだった。

何やら、式典のようなものが行われるらしい。

ちょっと見ていこうかな…と思っていたら、
100mほど遠くのほうで、
他の鼓笛隊がいて、演奏がスタートしたので、
まずはそちらを見てみることにした。





◆鼓笛隊。
 かなり熱い雰囲気。完全なる規律社会を感じさせる。
 どうやら、サンマルティン将軍に関わる式典のようだ。
 サンマルティン将軍とは、1812年にアルゼンチンに訪れて
 騎馬選抜隊を結成して、南米解放の戦いを導いた人らしい。



しばらく眺めた後は、サンマルティン将軍像の前で行われている式典を見ることに。
5分ほど待つとそれらは始まったのだが、
何やらパラグアイがどうのこうのとアナウンスされていたので、
まぁ、そういうことらしい(全然分からないのだが)





◆こちらもなかなか規律正しい雰囲気。
 でも見物客に対する警備はほとんど無し。
 通り行く人は、みんな携帯のカメラとかで気軽に撮影してた(笑)



式典をしばらく見学した後は、
パレルモ地区に向かって、「Libertador」通りを歩いていくことにした。

比較的高いビルも続いていて、
ブエノスアイレスが都会であることを感じさせる。

こんなに時間に余裕を持って、
かつあまり深い目的もなく町を歩くというのは久々なように思う。

こういう余裕が、全ての都市の訪問において持てたら
また新たなる町の一面が見られるのだろう。


歩いて20分ほどで、
アルベアール広場へ到着。

この近くには、レコレータ墓地という場所がある。

アルゼンチンは、墓地のある場所で階級を評価されるらしいのだが、
この墓地は、アルゼンチンの中でも一番高級な墓地であり
世界的にも、その美しさが有名な墓地らしい。

ちなみに、見学は無料で、誰が入っても良いようだ。


墓地を見学する…というのもどうかと思ったのだが、
歩き途中でもあることだし、見てみることにした。

しかし、入り口がどこなのか分かりづらく、
結局、墓地の周りをぐるっと一周してしまってから、
実はアルベアール広場のすぐ近くに入り口があったことを発見したのだった。


敷地内に入ってみると…確かに、墓地とは思えないような
一つ一つが大きな彫刻物にも思える、立派なものだった。





◆レコレータ墓地の風景。
 150m×150m程度の敷地内いっぱいに、
 このようなお墓がたくさん建てられている。



観光客もたくさん訪れていたのだが(ツアー客もいた)
その中を、実際に、葬儀の後だろうか、棺が運ばれて、
その後ろを参列者が歩く光景も見られた。

うーん、やはり、墓地を観光客が訪れるというのは、
いかがなものだろうか…(僕もその1人だが)
複雑な光景だった。


ちなみに、僕は自分のお墓を立派にしようなどとは全く思わず、
そもそも、その存在も自分にとっては必要ないと考えているような人間なので、
これほど立派なものを作る意味はあるのだろうかと、
ちょっと不思議にも感じてしまった。


墓地の見学を終えると、
「Libertador」通りに戻って、さらに北西に向かって歩くことにした。

道をただ歩いているだけなのだが、人を見ていたり、
街路樹を見ていたり、ものすごい勢いで走っている車を見ていたり、
ブエノスアイレスの一面を、肌で感じられて楽しい。





◆道にいた、だいぶ困った様子の犬。
 深く悩んでいらっしゃるようですな。
 何だろう。仕事のことかな、子供の育て方のこととかかな。





◆12車線ほどの一方通行の道路を、
 ものすごいスピードで走りまくる車の姿は、かなり異様。
 すごすぎる迫力。



歩くこと約20分、やっとのことで
パレルモ地区までやって来たのだが、
ここには、かなり広い敷地が公園となっており、
その一部に、日本庭園もあるというので、そこに立ち寄ってみることにした。

しかし、これまた入り口がどこにあるのか分からない。

塀沿いに、ほとんどグルっと一周した感じだったのだが、
やっとのことで入り口を発見。

この時点で、既に結構な距離を歩いているので、足がかなり疲れていた。





◆やっと到着した日本庭園の入り口。
 いやー、いい感じです。久々に日本を感じる。
 ちなみに入園料は5ペソ(約170円)



日本庭園内に入ると、これが何とも、普通に立派な日本庭園。
でも、案内板とかは、スペイン語。変な感じだ。





◆庭園の敷地内にあったお土産屋内の風景。
 日本の食材とか売ってあったり、折り紙で作られた鶴が置いてあったり…。
 それにしても、「寿司巻き」が売っていたのだが、これ、買う人いるの??(笑)



外国にある日本を感じるというのは、なかなか面白いもので、
何か違うなーという部分を見つける度に、その違いに笑ってしまう。

庭園内には、日本食レストランもあったので、
覗いてみることにした。

中はなかなか豪華な作りになっており、
値段が高そうで、焦る。

なぜ、日本人の僕が、
日本食レストランに入ることにビビッているのか分からないのだが(笑)

なかなか繁盛しているようだ。


ちなみに、メニューを見てみると、これがまた笑えた。





◆メニューの1ページ。
 言葉のちょっとした間違いなどは別に良いのだが、
 左ページの真ん中辺りに注目…。
 軍艦巻きのメニューの中に「結果は軍艦巻き」という品が!
 何が、結果的に軍艦巻きになってしまったのか…謎が謎を呼ぶ品だ…(笑)



ここで食事しても良かったのだが、
1品40ペソ程度(約1400円)と高いので、
やめておくことにした。

その後は、庭園のベンチに座って、しばらく何も考えず、休憩することにした。

都会の中のオアシス…そして日本庭園…。

まるで、東京の浜離宮にいるような感覚に陥るのだが、
何とも落ち着けてしまう。


ちょうど今は秋になっていく頃ということで、
ポプラの木が紅葉しかけており、その雰囲気がとても良い。

気持ちの良い風が吹いていて、
最高に落ち着ける時間だった。

ここでお弁当などを食べて、寝転がって昼寝でもしたら、
最高にのんびりした時間が過ごせるのだろうな…。

約30分ほど、ベンチに座って、何も考えずに過ごした。
頭の中をからっぽにするには、やっぱり公園が一番のように思う。


そして、再び歩き始めて、庭園内を歩くことに。





◆庭園内の池には、鯉もたくさんいる。
 近くで見ていると、餌を求めて、水面に上がってきて口をパクパクさせてくる。
 ちょっと恐い(笑)





◆庭園の風景。
 立派な作りで、間違った日本のイメージになっていない。
 素晴らしい。



庭園には、多くの外国人(現地在住の人も多そう)が訪れていて、
それを見ると、何だか微笑ましくなってしまった。

日本に関心を持っている人がこれだけいるということもそうだし、
何といっても、常に海外を旅行していると、
ずっとアウェイ(敵地)みたいなものだが、ここは、ホームだ…と(笑)



庭園の外側には、もみじも植えられていて、
ちょうど紅葉まっさかりで、あまりにも鮮やかな葉に、思わず写真を撮ってしまった。





◆燃えるような鮮やかな色に染まったもみじ。
 これは本当に美しかった。



こうして、大満足の日本庭園の散歩を終えたのだった。

庭園の外の露店で、ポップコーン(2ペソ)を買い、
さらに歩く途中でホットドック(2.5ペソ)を買いながら小腹を満たしつつ、
今度は、そこから北東の方向に約1.5kmほど歩いたところにある、
コスタネーラ大通りへ行ってみることに。

だいぶ歩きすぎで疲れていたのだが、
何とか大通りに到着。


どんなところかと思ったら、
本当にただの大通りで、車がビュンビュン通っているだけ。


ただ、そこは、アルゼンチンとウルグアイの間を流れるラ・プラタ川沿いでもあるため、
大きく広がる川も見ることが出来た。





◆ラ・プラタ川にある釣人会の建物。
 ガイドブックには、普通に「釣人会」って書いてあるけど、何なのそれ?(笑)
 ラ・プラタ川は、茶色く濁っている。ベトナムを思い出す。



通り沿いには何もないので、すぐに引き返すことに。

ただ、ここには、アルゼンチンの国内線を行き交う、
ホルヘ・ニューベリー空港があるのだが、
その脇を歩いていると、飛行機が目の前で離陸していったのだった。

かなり近い位置なので迫力満点。

というわけで、20分ほどフェンス沿いに待機して、
6機ほどの離陸&着陸シーンを、ビデオとカメラに収めたのだった。





◆かなり近い位置で見られるので、音もすごい。



なかなかの光景を見られて、意外な満足感に浸ってしまったのだが、
ここから、来た道を戻って公園に戻ることに。

パレルモ公園の中心に近づいたところで、
今度は、なぜか、普通に佇んでいるアヒル達に遭遇。





◆アヒルの集団。普通に歩道沿いにいた。
 人間が近づいても、全く逃げない。近い、近いぞ…。
 しかも、アヒルって結構大きいんだな。





◆5分ほど眺めていると、何と一斉に池に入り始めたのだった!
 ぞろぞろと続いて池に飛び込んでいく様は、かわいいのなんの。
 手前の2羽は、なぜか飛び込まず、眺めていただけ…。



このアヒル達、なんで飛び込んだのかなと思ったら、
対岸で、餌をやっている人がいたから、それに向かって泳ぎ始めたのだった。

どうやら、餌付けされていて、人間に馴れているようだ。
それにしても、餌を求める姿が必死。

陸に上がったり、また池に入ったりしながら、
必死に人間を追いかけている。
こんなアヒルの姿、初めてみた(笑)



そんなアヒル達の微笑ましい光景を見た後は再び歩くことに。

公園の中心まで戻ってくると、広いコンクリートの広場があり、
インラインスケートを楽しむ人達の姿も。

もうこれまでで、15km以上は歩いていただろうから、
足がパンパンで、しんどい状況だったのだが、せっかくサッカーボールを持ってきたことだし…
というわけで、ウロウロと場所を探して、ボールを蹴ることにした。



見通しが良く、人通りも適度に多い場所。

そして、近くに鉄柵があり、そこに鍵でバックを固定して、
さらに上着をかけて、カモフラージュ。

そのすぐ脇で、ボールを膨らまして、
やっと準備完了。

1人だと、ボールを蹴る場所を確保するだけで、こんな感じで大変。
ボールを蹴っている間に、襲われたり、
バックを盗まれたら困るので。


そして、いざ、ボールを使って、リフティングを開始。

いやー、体が鈍っているのなんの。
というか、やっぱり、右足のアキレス腱のハンデはきつい。


しばらく蹴っていると、ボールの感覚は戻って来るのだが、
やっぱり、右足首のアキレス腱が気になることもあり、
右足をグッと踏み込むようなテクニックは出来ない。

ヒールリフトとか、恐くて、とてもとても…。





◆1人でボールと戯れる。
 これは、浮いたボールを、ピタッと右足で止めた瞬間。
 こういうプレーは負担が無いから簡単に出来るんだけどね…。 



どうやら、本当に今後の人生において
サッカーのプレーの幅は狭まりそうだ。

フットサルはもちろんのこと、サッカーはもう出来ないだろう。
軽いプレーなら出来るだろうが、全力疾走は不可能だ。

また、リフティングを中心としたフリースタイルでも、
これだけ制限を受けるとは、今回、改めてボールを蹴ってみて、驚いてしまった。

常日頃から、しっかり柔軟をして、
入念に体を温めた上でプレーすれば、おそらく右足を踏み込んだところで
アキレス腱が切れるということは無いのだろうが、
もし、もう一度切れたらと思うと、恐くて踏み込めない。


こうして、ボールを蹴られること自体で、幸せなことなのだろうが、
まだ先の長い人生において、
サッカーという僕の生きがいの幅が現実として狭まっていることを痛感し、
どこか寂しいものがあった。

人間の肉体的に考えても、
もう28歳の年齢では、ピークを過ぎる頃だ。

つまり、僕のサッカーの一番ピークは、アキレス腱が切れる前、
もっと言えば、大学時代だったんだなぁと、今更ながらに思うのだった。

もう、二度と競技レベルのプレーには戻れないし、
当時のフットサル関東リーグの人達に混ざってガツガツとプレーしていた
あの頃の全力プレーが出来ないと思うと、
何だか人生のステージが確実に移り変わっているということを感じる。

寂しいものだ。



それでも、1年前の今頃は、
日本でスーツを着て仕事をしていた僕が、
今はブエノスアイレスの公園で1人ボールを蹴っているなんて、
本当に不思議なものだなと思った。

ところで、僕がボールを蹴っていると、
近くに停まっていたタクシーやバスの運転手などが、
窓を開けてずっとこちらを見ている。

確かに、アジア人が、
この場所でリフティングに興じている光景というのは、珍しいのだろう。


約30分ほどだろうか、
1人、ボールを蹴り続けて、汗を流したのだった。

そして、これ以上は足も限界だと感じて、
帰り始めることにした。


時間は17時30分頃だっただろうか、
夕暮れ時ということもあり、物寂しげな風景の中を、
地下鉄の最寄り駅に向かって歩いていった。

ボールは、しまうのも面倒だったので、
そのまま駅までドリブルをしながら帰った。





◆ボールと両足。
 まだこの足には、少なくとも60年は頑張ってもらわないと。
 頑張れよ、俺の両足!


さすがに、道をドリブルしている人は世界中を旅していてもいなかったのだが…
あれはやはり、キャプテン翼の世界だけなのだろうか(笑)

約1kmほどで、最寄り駅の「Plaza Italia」に到着し、
地下鉄に乗ることに。


駅の改札や、ホームでは、
物売りの少年達がいるのだが、彼らが、僕がボールを持っているのを見ると、
「オー!●×▲■…!!!」といった感じで、
スペイン語で陽気に話しかけてくる。

さすがサッカー大国アルゼンチン、ボールには敏感だ(笑)


満員電車の中を、ボールを持ったまま乗り継いで、
宿の最寄り駅まで戻り、そこから歩いて宿に戻ったのだが、
夕食は、昨日のピザ屋で食べることに。

途中で、日本人会館に立ち寄ってみると、ドアが開いたので中に入れたのだが、
どうやら日本食レストランは、15時で一度閉まり、
夜は19時30分からの営業とのこと。

この時、まだ18時40分だったので、
今日は諦めることにしたのだった。

ピザ屋では、テレビでボカジュニアーズの試合風景が流れていた。
どうやら、リベルタドーレスカップの決勝のようだ。


食後は、一度、宿に立ち寄って荷物を置いて、
また昨日のインターネットカフェに行くことに。

いつもながら、わが師Mさんに、ベネズエラについて質問メールを送っていたのだが、
ちゃんと返事をくれており、悩みが解決したのだった。

いやはや、本当にMさんの情報が無かったら、
かなり不安なままベネズエラ入りするところだった。


しかし、未だに今後の予定が確定出来ないのだが、
中米もそうだし、インドネシアのイリアンジャヤという、裸族がいるという秘境の話しも聞いて、
あと最低3ヶ月あれば、全部回ってから帰国したいのだが、
どれだけ頑張っても、約3週間程度しか、寄り道する時間が出来ないので、
悲しい。

帰りのチケット(オーストラリアのパースから成田へ)を捨ててしまえば、
別に1年間という制限は関係ないのだが、それもねぇ…。

うーん、旅をすればするほど、もっと見たい世界がたくさんあることに気付く。
もっと時間が欲しいぞ、自由な時間が!!


2時間でインターネットを終えて、宿に戻って、
シャワーを浴びて、この時、22時。

もう疲れて寝てしまいたいのだが、
宿のランドリーサービスで服を洗うことに。

何と、1回8ペソ(270円)という驚愕の安さで
何キロでも洗えてしまうのだから、感動してしまった。


ランドリーに服を預けている間は、
リビングルームのソファーに座って、パソコンを使って日記&写真整理を。

そして、夜中の1時過ぎになり、やっとランドリーの洗濯&乾燥も完了。
荷物を片付けて寝ることにした。

ちなみに今日は蚊がいなかった、助かった…。

5月13日(火) ブエノスアイレス <ブエノスアイレス泊>

  1. 2008/05/16(金) 06:42:04 
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朝8時頃、目が覚めたのだが、
まだブエノスアイレスの到着までは、約6時間…。

もうさすがに寝続けることも出来ないので、
とりあえず窓の外を眺めてボーっとすることにした。

しかし、本当に変化の無い風景だ…。





◆ブエノスアイレス〜リオガジェゴス間(約36時間)、
 この風景が延々と続く。
 さすがに地平線とか見飽きた。



10時頃からは、また映画の放映が開始。
何となく画面を眺めていたのだが、何の映画だったか全く覚えてない。

長いバス移動で、放心状態となっていたようだ。


手帳を開く元気も無く、ガイドブックを見て考えるにも、
インターネットが無いと情報が足りないので、やることが無くなってしまった。

もう、到着を待つしかない。


そしてバスは走り続けること、3時間30分。

13時30分になっていたのだが、そろそろ計算上では、
ブエノスアイレスに到着するはずなのだが、
一向に景色に変化が無い。

これはどうやら、さらに遅れが出ているようだ。

ちらほらと、小さな町を通り過ぎるのだが、
大都市の風景にはなってこないので、まだ時間がかかりそうだ。

と、ここで、急に眠気が襲って来たので、
ここぞとばかりに、寝ることにした。


そして、起きると、15時頃になっていたのだが、
ついに、ビルが少しずつ見え始めた。

よしよし、近いぞ…。


そして、ついに見覚えのある風景になり、
ブエノスアイレスの町に到着したのだった。

バスターミナルに到着したのは、結局、15時30分。


リオガジェゴスから、43時間30分、
そして、ウシュアイアからの合計は、58時間という、
脅威の大移動になったことになる。

そういえば、昨日、トレレウの町に到着した時に外に出て以来、
20時間ぶりにバスの外に出た。


バスを降りた時には、足がヘロヘロの状態。
さすがに、エコノミー症候群になるんじゃないかと思った。
(いや、もうなっているんじゃないかと思うぐらいだ)





◆このブエノスアイレスのバスターミナル、
 何度訪れているのだろうか…。
 やっと着いた…。



バスの質はほどほどで清潔だから、
変な苦痛は無かったのだが、
この旅始まって以来最長の長時間移動は、一体なんだったのだろうか…。


さて…バスは到着したものの、
ここからさらに「宿探し」というミッションが、残されている。

いつもながら面倒だ…。


バスを降りて荷物を受け取り、
レティーロの地下鉄の駅に向かって歩いていると、
今回の長時間移動に関して、何だか悶々と考え込んでしまった。

確かに、バスを使うことで、
飛行機に比べて、約22000円程度の費用を抑えられたことになる。

しかし、結果的に58時間もかかってしまい、
丸2日と半日、移動に費やしてしまった。

「時は金なり」、1年間という制限のある旅の中で、
移動にこれだけの時間を費やす価値は、あったのだろうか。


僕はなぜ、今回バスの移動を選択したのか、
考えてみたのだが、
たぶん、自分自身に「資金的余力が無い」ということと同時に、
「資金を稼ぐ自信が無い」から、
バス移動を選択したのではないか、という気もしてきた。

その自信、または根拠があれば、
22000円を取り返すことなんて、日本に帰ってからいくらでも出来る。

でも、どこかでその自信が無いから、
バスに乗っているだけで費用が抑えられる、バス移動を選択したのではないだろうか。


おそらく、一生の中でも、
コストを抑えるために、これだけの長時間を費やす移動というのは
もう二度と無いかもしれない。

いや、二度としたくない。

やはり、資金的余力が無いということは、
僕にとっては常にストレスの要因になっているように感じる。

このリミッターを外すことは、
僕の心を解き放つためにも、一つのキーポイントになるように思う。

これは一生の中において。


しかし、一方で忘れてはならないのは、お金の大切さについてだ。

僕は元から、かなりの貧乏性ではあるのだが、
それは、お金を失うのが恐いというよりも、
お金の大切さを、頭のどこかで理解しているから、
無駄な浪費をしたくないのだろう。

だから今回も、バス移動を選択したとも言える。
これも決断の要因の一つだろう。


別に貯金が趣味ではないのだが、
僕は常に一定の貯蓄が必要であると、考えている。
(もちろん、貯蓄と同時に、
 自己投資も重要だから、ここに対しては
 臆せずして資金投下する必要があることは承知している)


それは、いつか突発的な問題が発生した時に
対応出来る力を蓄えておくという意味があるからだ。


もちろん、今回の旅においても、貯蓄が無ければ、
その被害のインパクトに負けて、旅を続けられなかっただろうし、
帰国後も、資金がゼロであれば、
それこそ日雇い状態で、何かをすぐに始めなければならなかっただろう。

また、仮に、家族の身に何かあって、
緊急で資金が必要になった場合にも、フォローが出来る状態を作っておかなければ、
そのまま見殺しにもなってしまうだろう。


思い出せば、約3年前には、我が家の愛犬シェルが、
癌になってしまっている事実を、動物病院の診察結果によって知るという出来事があった。

この時、医者からの話しでは、
「仮に手術をすれば、約1年間、命が延命できる可能性がある。」という話だった。

その手術費用は、確か50〜60万円だったと思うが、
僕はこの時、瞬時に「手術を選択する」ことを決断した。

この費用は、金額としては大きい。

しかし、僕は、自分の家族としての存在にもなっている犬の命、
これを少しでもいいから、延ばして、生きてほしいと願った。

そこの決断において、お金がいくらなど、関係の無い話だ。

ただ、もし仮に貯蓄の余力が無ければ、手術の決断は出来なかっただろう。


僕は、無駄な浪費を極力抑えることで、コツコツと貯蓄していたから、
すぐに決断できたが、こういったケースにおいて、
もし、決断する余力が無ければ、非常に精神的に苦しい状況になるだろう。

だから、僕は、お金は本当に大切だと思うし、
全く浪費する気にならないのだ。


僕は、お金は力であると考えている。
何をするのも、力が無ければ、立ち上がることも出来ないし、動くことも出来ない。

だから、いつでも動けるパワーを充電しておくという意味で、
僕はこれからも、一定の貯蓄を続けるだろう。
(ただし、仮に起業して経営者になった場合は、
 自己資本だけでは難しいから、大きな借り入れを起こすこともあり、
 貯蓄額を保つということは難しくなるだろうが…)



なお、上記の愛犬シェルの手術の話しだが、
結果的には、後日、手術の当日になって直前の診断をしたところ、
もう癌が体中に転移していて、手術をすることすら出来ない状態になっており、
手術は中止となってしまったのだが…。
(今思い出しても、その当日のことを思い出すと、涙が出てくる。
 あと1年間、一緒にいられると思ったのだが、
 それは叶わない夢として終わり、
 残り少ない命を一緒に過ごすことしか出来なくなってしまった。)


でも、今思えば、これは全て、
愛犬シェルからの、「手術の費用の分は、他のことに使ってね。」という
メッセージだったのかもしれない…。

その後、約3ヶ月間、シェルとは毎週末、ずっと時間を過ごしたし、
だんだんと癌の腫瘍が大きくなる中でも、
最後まで生きようと頑張り続ける姿は、本当に命の尊さと、
そしてその生きるという気持ちの強さを、教えてもらえたのだった。



この文章を書いているだけで、涙が止まらない状態になっているのだが、
本当に、シェルには、ありがとうと言いたい。

もちろん、ブログを読んでくれている友人の中にも、
シェルに会ったことのある人は多くいると思うが、そういうわけで、
今は天国にいるのです。



さてさて…
いつもながら、日記は、どんどんと話が脱線してしまうのだが、
元に戻すことにしよう。

ええと…
レティーロの地下鉄駅からは、Independencia駅まで移動して、
そこから歩いて、候補と考えている宿まで10分ほど歩いた。

そこは、「EL Hostal de San Telmo」という宿なのだが、
到着して、インターホンを押すと鍵が開けてもらえたので
中に入って部屋を見せてもらった。


部屋は狭くて散らかっているのだが、
浴室は比較的綺麗。

ただ、無料インターネットのはずが
パソコンが故障しているようで、今は使えないとのこと。

これは痛かったのだが、
もう他を探すのも面倒なので、ここで決めることにした。

ドミトリーで1泊25ペソ(朝食付き)





◆今回泊まったドミトリー部屋。
 いやー、かなり散らかってますな〜。
 どうやったらここまで散らかせるのかが理解出来ないのだが。
 でもまぁ、散らかっていることなど、別に今更、気にもならない。



チェックイン後は、とりあえずインターネットカフェを探すことと、
ついでに、近くにある「Buenos Aires International Hostel」に行ってみることにした。

歩いて10分弱で、その宿に到着して、中にいるスタッフに聞いてみたのだが、
値段は同じく1泊25ペソ。

でも、無料インターネットは無いとのことで、
であれば、明日、宿を移すこともないだろうと判断した。

ただ、この宿の向かい側に、
1時間1.5ペソというかなり安いインターネットカフェがあると聞いたので、
早速そこに行ってみることに。

パタゴニアでは、1時間5〜6ペソが標準だったから、これはうれしい。


インターネットカフェに入ってパソコンを使い始めたのだが、
日本語が読めなかったので、他のパソコンに変えてくれと頼むと、
何やら他のパソコンの設定をいじってくれて、
パソコンが読める状態にしれくれたのだった。

そして、1時間、メールのやり取りを初めとして、
ベネズエラの情報なども、インターネットで調べたのだった。


その後は、お腹も空いたので、食事をすることに。

時間は19時30分頃だったのだが、
近くに、日本人会館という所があり、
そこの1階に日本食レストランがあるとガイドブックに書いてあるので
行ってみたのだが、なぜかドア自体が閉まっていて、中に入れず。

良く分からないのだが、
諦めて他のレストランを探すことに。

と、ここで、Independencia通りと、
Peru通りとの交差点にある、Zapiというピザ屋が、
1枚で13.9ペソというキャンペーン価格を打ち出していたので、
そこで食べてしまうことにした。

久々の外食、やっぱり自炊よりも楽だなぁと思いつつも、
比較的大きなピザが出て来て、美味しく食べたのだった。





◆3日間、パンしか食べていなかったので、
 さすがにお腹が空いていたから、1枚、あっさり食べ終わってしまった。



そして、宿に帰る途中の商店で、
水とビールを買って帰ることに。

宿に戻ると、とりあえずシャワーを浴びることにした。

いやー、4日ぶりのシャワー、
気持ちいいもんですなぁ…。


シャワーを浴び終えると、時間は21時30分頃だったのだが、
この長距離バスの旅を労って、ビールを飲むことにした。

が、今回買った「Quilmes」というビールの
「STOUT」という黒ビールみたいなものだったのだが、
これ、何だか妙に甘くて、まずかった。

いつもと同じではつまらないと思って、これにしたのだが、
やっぱり普通の買っておけば良かった…。

たいてい、新しい味に挑戦すると失敗する。


結局、ビールは半分程度で捨てることにした。

また、長距離移動の疲れもあってか、とてもパソコンで作業を進める気力もなく、
今日は早めに寝ることにした。

それにしても、この宿も若い宿泊客が多いのか、
夜までみんなで飲んで盛り上がって、うるさいの何の。


まぁそれは0時頃納まったのだが、
それよりも、夜中、ずっと悩まされたのは、
何と「蚊」だった。

蚊に出会ったのは、一体いつ以来だろうと考えてしまったのだが、
なぜかこの宿には、蚊がいるのだった。

「ブーン」と、耳元を飛び回って、不快で仕方ない。
全然寝られない。

かといって、ドミトリー部屋はもう真っ暗だから、
蚊を退治することも出来ず…。

最後は、シーツを頭に被って寝ることにしたのだった。

5月12日(月) ブエノスアイレスへのバス移動 <車中泊>

  1. 2008/05/16(金) 06:38:04 
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朝、何度か目が覚めそうになりながらも、
必死に寝続けようと意識して(何かすると目が覚めるので、
ひたすら目を閉じたまま寝付こうと頑張る)
何とか10時30分まで、粘ることが出来た。

と、ここで、何だかバスが長い間停まっているぞ…と思って、
外を見てみると、遠くで何やら燃えている。

しかも、バスやトラックが全て停まって、立ち往生しているような感じだ。
何だ、何が起こっているんだ?

しあkし、全くドライバーなどから説明が無いので、
良く分からないまま、ひたすら待つしかなかった。

そして、約1時間後、やっと道路が通れるようになったようで、
一斉に車が走り出した。

バスが、先程見えていた火災現場の横を通ったのだが、
何だか、タイヤが燃やされていたみたいだ。

どういうことだろうか。


そして、バスは30分ほど先に進んだのだが、
ここで、また停まってしまったのだった。

他にも、バスやトラックが、同じ場所で立ち往生している。

今度は何や!?と思いつつも、やはり何も説明が無いので、
良く分からず、ただ座席で待つしかない。

他の乗客も、特に動くことなく、疲れた様子で座席でボーっとしている。


一体、いつになったら再出発するんだ…と思い、無心で待っていたのだが、
ここで、バスの中では、無駄に、ミュージックビデオのDVDが流され始めてしまい、
これがまた最高にうるさい。

昔のポップスやソウルなどのヒット曲が、
メドレーのように連続してつながっているのだが、
延々と同じテンポの曲がつながっているから、だんだん頭がおかしくなる。

知っている曲はたくさんあるので、
リラックスして聴けば楽しいはずなのに、
全く楽しくない。

というか、完全に苦痛。


頼む、頼むから、バスの発車以前に、このミュージックDVDの再生を止めてくれ…
うるさい…頭がおかしくなりそうだ…。

これが結局、何と約2時間流れ続けたのだから、恐ろしい。

メドレーなので、1分程度で、どんどん曲は変わっていったのだけれど、
よくもまぁ、これだけヒット曲というのは存在するものだと、嫌というほど味わった。


さすがに、このDVDには他の乗客もこたえたようで、
DVDが停止されると、皆一様に、ふーっとため息をついていたのだった。

これを再生し続ける、バスの運転手達の気が知れないのだが、
ちょっと頭がおかしいんじゃないのか?


ところで、バスはというと、未だに発車する気配が無い。
もう、ここまで来ると、どうでもいい状態というか、
何もする気力が起きない状態になっており、
ただひたすら、放心したように、ボーっとして過ごしていた。

すると、さらに1時間ほどして、バスが発進したのだった…。





◆3時間、バスの窓から、
 この変わらぬ風景を見続けた…。





◆座席の真上には、テレビ画面が。
 うるさいし眩しいし…とにかく、しんどい。



謎の2度目の停車から約3時間…
ついに走り出したバスなのだが、
この間、同じように立ち往生をくらっていた
バスやらトラックやらが、一斉に走り出す様は、異様だった。

そして、道を走っていると、
またタイヤを燃やしている場所が、ちらほら見られた。

で、何が起きているのか、やっと判明したのだが、
何やら農家の人達だろうか、タイヤを燃やして、その付近に大勢集まって
文字の書かれた旗を掲げて、デモをしているのだ。

それほど凶暴な様子は無いので、暴動まで発展するような感じではないのだが、
おそらく、道路の封鎖をしたり、警官隊との衝突か何かがあったのだろうか
それによって、バスが進めない状態になっていたのだ。


彼らの掲げる旗には、
パンパ(草原)が何とかかんとか…(スペイン語なので不明)と書かれてあったが、
一体、何を訴えているのだろうか。

どうでもいいが、とりあえず一般の通行の妨げをするという
馬鹿げたことはやめてほしいのだが…
デモで訴えたい気持ちもわかるが、
もっと建設的に訴える方法は無いのだろうか。


道路際には、所々で、タイヤを燃やす煙が立ち上っていたのだが、
それを通り抜けて、バスは順調にペースを取り戻して、走り続けた。

それにしても、このリオガジェゴス〜ブエノスアイレス間というのは、
本当に景色に変化が無い。

とにかく、草原がひたすら続くだけ。

それが綺麗であればまだいいのかもしれないが、
今の時期ということもあるのか、枯れた色をした、黄土色のような草原だから、
特にこれといって、感動するようなものでもない。

うーん…。


外を見ていても仕方ないので、
ガイドブックのコピーを開いて、この先の予定を考え始めることにした。

結局、ラデ空軍航空のフライトキャンセルや、
アルゼンチン航空のストライキにより、飛行機移動が出来なかったので、
バス移動に切り替えたことにより、予定が変にずれ込んでしまった。

これにより、本来1週間の余裕が生まれ、
その間、ブエノスアイレスを基点に、パラグアイとイグアスの滝(アルゼンチン側)へ
行こうと思っていた案は、実行できなくなってしまった。

もちろん、さらに一週間、次のベネズエラ行きをずらせば、
約11日間の余裕が生まれるのだが、これ以上、ここで時間を費やしてしまうと、
今後の全体行程がきつくなってくるし、
そこまで時間をかけても仕方ない。


というわけで、5月16日(金)のベネズエラのカラカス行きの
フライト予約をそのまま活かして、
バスでブエノスアイレスに到着した後、3日間滞在して、
そのまま飛んでしまうことにした。

パラグアイとイグアスの滝再挑戦は残念だけれど、仕方ない。

またいつか、世界一周の旅に出た時に、
もう一度そこを通るルートを組み立てて、再挑戦しよう…。


となると、今週金曜日からは、ベネズエラの旅が始まることになる。

特に、首都カラカスは脅威の犯罪発生率で、
世界の中でもかなりの危険都市。

入念に調べておかないと、死に兼ねないので、
ガイドブックも読み込んでおくことにした。

ちなみに、ベネズエラに行く目的は、
世界一の落差の滝「エンジェルフォール」と、
ギアナ高地だ。


また、ベネズエラ以降、中米をルートに加えて足を延ばすのか、
その点に関しても、考えなければいけない。

これに関しては、インターネットで調べたいことも出て来たので、
ブエノスアイレスに着いてから、最終判断をしたいと思う。


こうしてしばらくは、ガイドブックを見て時間を潰せたのだが、
次に、手帳を使って、やるべきタスク(作業)を、書き出すことにした。

ついでに、帰国後にやるべきタスクも簡単に列挙しておいたのだが、
いよいよ、帰国が近づいて来ているんだなぁと、実感が湧いて来たのだった。


今後の予定を考えていても、
あと2ヶ月と2週間ほどで、終わってしまうのが、
目に見えて来た。

ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、
チリ、イースター島、ニュージーランド、オーストラリア…
予定では、後、これらの国を回れば、1年の旅が終わってしまうのだ。

寂しいような、何とも言えない感じだ。

本当に終わってしまうのかと、いまいち、そう思えない気もするのだが、
確実に時間は流れていっている。



他にも、もっと深く考えたいことはあったのだが、
このバスの中の雑音だらけ、かつ、閉塞空間というのは、
考えるには不向き。

もっと静かに、1人だけの時間でなければ、熟考など出来ない…
ということで、深く考える時間は、また別途どこかで設けることにした。

何だかんだ言って、慌しく日々が過ぎていき
帰国後になってしまいそうだけれども…。



さて、バスはというと、18時30分になり、
トレレウという町のバスターミナルに到着した。

ここは、リオガジェゴス〜ブエノスアイレス間のちょうど真ん中に位置しており、
ここから、18時間かけて、さらにブエノスアイレスに向かうことになる。

しかし、予定より既に6時間遅れでの到着。

ということは…当初の36時間の行程が、
42時間になるという計算だ。

考えただけでも恐ろしい。





◆トレレウのバスターミナル。
 まだ先は長いぞ…。



バスを降りて、15分ほど休憩して、再びバスに乗り込むと、
しばらくしてバスが発車。

そしてすぐに、ドライバー(バスには2人いる)の1人が
客の行き先を1人ずつ確認して来たのだが、
僕が、ブエノスアイレスと答えると
「ええ、バスを乗り換えなきゃいけないんだよ!」(全てジェスチャーから読み取った内容)
ということを言って来た。

えええ!?だって、一言もアナウンスが無かったやんけ!!と、
思わず日本語で突っ込んでしまったのだが、
このバスは、ブエノスアイレスではなく、コルドバというところに向かうバスらしい。

同じバスなのに、先程の休憩で、いきなり行き先が変わっていたのだ。


「ではどうすればいいんだ!?」と聞くと、「ちょっと待って」と言われたので、
待っていたら、バスがすぐに停車し、
前にももう一台バスが停車し、
どうやらそれがブエノスアイレス行きのバスとのことで、
僕だけ降りて、慌しく乗り換えることになったのだった。

「ところで、預けたバックパックはどっちのバスにあるの??」と聞くと、
「もう、あっちのバスに移してあるから大丈夫!」
(これも全部ジェスチャーから読み取った内容)
みたいなことを言っているので、
とりあえずバスを乗り換えることにした。

いやはや、このままコルドバに行っていたら、どうなってしまったのだろうか…
危機一髪の、バス乗り換え劇だった。


恐るべし、南米のバス。
集合時間に遅れると置いていかれるし、
乗り換えも自分で分かっていないと、置いていかれるという…
究極の個人主義とも言える運営方法だ。
(いや、ただバス会社の案内不足なだけなんだけど…)



バスを乗り換えると、再び、映画の放映が開始。

もう何本目になるのか分からないほどだが、とりあえず暇すぎるので、
時おり、画面を見て過ごしたのだった。

台詞は英語なんだけど、字幕がスペイン語だから、何とも変な感じ。

英語の聞き取りの勉強にもなるのだけれど、字幕がスペイン語だと、
それが結局何を言っていたのか文字で理解出来ない、どうにもこうにも…。


それにしても、ハリウッド映画というのは、
銃が良く出てくるなぁーと、素人目にも、思ってしまったのだった。

ちょっとしたアクションものだと、必ず銃撃戦が行われる。
登場人物も、バシバシ銃殺されていく。

これって、どうなの?

正義が勝つといった展開に最後はなっているけれど、
その過程において、「銃社会でOKです」みたいなことを、
結局表現してしまっているのだから、
未だに銃が無くならないんじゃないだろうか。

自分の護身用として持たざるを得ないと彼らは主張するのかもしれないのだが、
では、なぜ日本は銃社会になっていないのだろうか。

もちろん、世界中に、銃社会になっていない国は他にもある。

何だかんだ言って、銃を持つかどうかは、
意識の問題だけであると、僕は思う。

そういえば、アルゼンチンを旅していて、たまにインターネットカフェに入ると、
小さい子供達は皆、まるで自分が戦場に乗り込んで、
銃撃戦を行っているかのような視点のネットゲームに夢中になっていたのだが、
あれはどういう影響を与えるのだろうか。



銃もそうだが、核の問題にしても、もちろん、環境問題にしても…
はっきりいって、「意識を変えればいいだけ」の話し。

それが難しいから、いつまで経っても変わらないわけだが、
でも、人間のエゴというか、全くもってくだらない部分というか、
そういうのが、これらの問題が解決しないままに、未だに残っている原因だろう。

いつになったら、これらの問題は解決するのだろうか。
ちょっと、タイムマシーンで未来に行って見たいものだ。

まだ、100年後も、同じことでつまづいていそうだが…

人間は、とても賢いと思うし、
素晴らしいものだと僕は思っているが、
こうした問題が散見される現実を見ると、
人間の限界を感じずにはいられない面もある。

何だかねぇ…みんな歳を取って、いい大人になっていくんだから、
それぐらい、意識を変えて、平和な世界に変えてしまえばいいのに。


世界中が一斉に、
「もう絶対に人は殺さないし、他人の権利を奪わない」と決めれば、
銃も、核も、戦争も、全て無くなってしまうのだが…

これは無理なのか?
これをやらないと、もう何百年、何千年経っても、
人が人のものを奪い、最後には命を奪うという、馬鹿げた争いは終わらないだろう。

戦争だって、いつまで経っても終わらない。

まぁ、考えても見れば、過去何千年と、そうしたことが繰り返されてきたわけだが…。
学習しない、人間のおろかさに、嘆いてしまう。



みんな人が殺したいから殺すのか、
殺さなければいけないから、殺すのか。

各人が、生まれた瞬間から、誰かを殺さなければいけない理由を持っているわけがない。
あるとすれば、それは過去の歴史上のものであって、
その本人が生まれた時点では、それは存在しない。

つまり、僕はこの旅で何度も同じことを思い、
同じことを日記で書き残しているけれど、
「今、この瞬間に、世界中の全ての人が一切の憎しみを捨てなければ、
 世界に平和は訪れない。」ということだ。


きっと、ジョンレノンも、同じことを考えていたのだろうと思う。
結局は、「意識」の問題であると。

だから、彼は「imagine」の曲において
「想像してごらん…」と、何度も繰り返したのだろう。

そう、想像すること、そして、具体的に意識を変えること、
それしか、僕らの地球から、人の命を奪うという行為を無くすことは出来ない。



…かなり話は脱線したが、ボーっと映画を見ながらも、
それらを見た後には、その内容にため息が出てしまい、
こうしたことを考えてしまう自分がいるのだった。


映画の上映が2本終わると、時間も0時近くなっていた。

もうさすがにぐったり。
それでも、やっぱり今日もうまく寝付くことが出来ず、
寝たのは深夜になってから。

それでも、乗り換えたバスも、
2階席の後ろから3列目だったのだが、
空いているので、隣の席まで足を延ばせるし、快適なことは快適だった。

それでも、まだまだ先は長いぞ…。

5月11日(日) ウシュアイア→リオガジェゴス→ブエノスアイレス <車中泊>

  1. 2008/05/16(金) 06:32:51 
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昨夜は徹夜のまま作業を続け、
4時30分に宿のインターネットでブログアップ、メール送信作業を終えると、
荷物の準備を始めて、5時にバス発車場所に向かって歩き始めた。

歩いて5分ほどで、バス発車場所(ただの交差点)に到着。
乗客も集まってきて、ついにバスに乗れるんだ…という実感が。

そして5時15分にバスが到着し、
昨夜の寝坊劇から丸1日、ついに乗車を果たしたのだった。

長かった…。


バスに乗った後は、徹夜の効果もあって、即寝ることが出来た。

全く記憶の無いままに、
気付くと、もうリオグランデに到着していて、
9時30分になっていた。

ここでバスを乗り換えるということで、
隣に停まっているバスに荷物を移して、すぐにバスはリオガジェゴスに向かって出発。


このバスでも、即、寝た。
ニットを深く被ることで、アイマスク代わりに。
これが結構、効果あり笑)

そして次に起きたのは10時30分。

アルゼンチンとチリの国境に差し掛かったので、
まずはアルゼンチン側の出国ゲート、そしてその10分後には、
チリ側の入国ゲートで、それぞれ手続きを。

手続きと行っても、ただ建物の中に入って、
パスポートを見せて、スタンプを押されるだけ。

荷物検査などは、どうせ適当でやらないことは分かっているので、
バスに置いたままにしておいた。
案の定、ショルダーバックを一瞬見せただけで、何も言われなくて終了。


この後、またバスは走り出し、
今度はその約2時間に、先日も通過した、マゼラン海峡に到着。

ここで、15分間休憩の後、バスごとフェリーに乗って、
約20分間、マゼラン海峡を渡る。

全て、先日、プンタアレーナスからウシュアイアに行った時と同じことの、
逆方向で戻っているだけなので、
眠いこともあり、全くバスの席から動かず
ひたすら寝続けたのだった。

写真も全く撮らず…。


そして気付くと、さらにその2時間後、
14時30分頃だったが、また、アルゼンチンとチリの国境に。

世界地図を見てみると分かるのだが、
この、南米の南端のパタゴニアは、アルゼンチンとチリの国境が変な形で区切られているので
そこを移動する人は、必ず何度も国境を行き来することになる。

バスを降りるのが面倒なのだが、
仕方なくこの時も、2つの国のそれぞれのゲートで手続きを。





◆ちょっとわかりづらいのだが、
 国境ゲートとは、このような屋根付きの建物の前でバスが停まり、
 降りて左手の入り口から中に入って、
 係りの人にパスポートを見せるという簡単な手続き。



今日だけで、4回も国境ゲートを通過したことになり
その度にスタンプが押されるので、パスポートがスタンプだらけ。

でも、個人的には、もうパスポートのスタンプには興味なし。

マルセイユの盗難の時に、10年間有効のパスポートの6年目に入っていたのだが、
それまでの溜めまくったスタンプは、パスポートと共に無くなったわけで、
もう、パスポート再発行後は、どうでも良くなってしまった。


一方で、無くなってみると、意外と別に気にならないもので、
今回の旅を通じて、何かを失うことに、恐れを感じなくなっている自分がいる。

もちろん、お金を失うのは恐いというか、現実的に困るのだけど、
何かそれ以外の、自分のこだわるものを失っても、それはあくまで自分のこだわりであって
自分の捉え方さえ工夫すれば、いかようにも切り返せるということを知った。

パスポートの盗難で失った各国の入出国スタンプやビザなんて、小さな話だが、
盗難で、写真やビデオテープだって失ったけれど、
それはそれで仕方ないと受け入れることにしたし、今は落ち着いて受け入れられている。

確実に、この旅で失うことへの捉え方が変わったように思う。
これを「強さ」という言葉に置き換えることが的確なのかは分からないのだが…。

いつ何事も変化する可能性を秘めているという捉え方、気持ちの余裕を持っていれば
何が起きても大丈夫、ということだ。


それは逆に言えば、物事は全て成功するわけではなく、失敗することも多々あるわけで、
いかに自分が時間を投下し、努力して、夢を実現しようとしたとしても、
それがどういった結果になるかどうかわは、分からないということを、表している。

僕は、何事にも完壁主義者的な一面があって、
それが達成されないと悔しくて仕方ないタイプなのだが、
でも、旅における度重なる盗難であったり、思い通りにいかないことの連続によって、
その意識が、だんだんと和らいでいっているようにも思う。

つまり、完璧な人生は無い、ということを、
頭の水面下で理解し始めているように思うのだ。


「完璧な人間はいない」ということは良く言われるけれど、
「完璧な人生はない」ということも、これまた真理ではないだろうか。

もちろん僕にも、様々な事柄において「こうなりたい」という夢や目標はあるし、
この先の人生において、その実現に向けて努力を重ねていくだろう。

でも、必ずしもそれが自分の思い通りに実現するとは限らないし、
全く違う結果になってしまうこともあるだろう。

しかし、それはそれで、受け入れるしかない。

人間は、周りの全ての生き物や自然とのつながりの中で生かされてるわけであって、
それらとの調和において、最終的に結果が生み出される。

つまり、自分が出来ることと言えば、
自分が行きたい方向、自分が実現したいものを、指し示し、そこに向かって歩く、
という行為にほかならないわけで、それしか出来ないといっても良い。


その先の結果は、神のみぞ知る…といってもいいのかもしれないが、
「運がよければ実現する」ぐらいに、思っておいたほうが、良いのではないだろうか。


仮に、夢や目標が実現しなくとも、
僕らには、その「プロセスを楽しむ」という、
素晴らしい手段が残されている。

だから、結果にこだわることも大切なのだが、
常に、そのプロセスを楽しむことを意識し、楽しむためのキーワードを、
自分なりに探していく必要があると思うのだ。


プロセスを楽しむことが出来ていれば、
結果が出たときにも、全くそれに左右されることは無いだろうし、
逆に、結果が出た際に、次のステップに向かって、
また新たなるプロセスを構築する機会が与えられるわけで、
自分にとっては、またそれを楽しめるチャンスが与えられたことにもなる。

そこまでの領域に達することが出来れば、
はっきりいって、人生、何も恐いものがなくなるんじゃないだろうか。

どんな環境に置かれようとも、どんなことが起きようとも、
毎日、楽しくて笑顔が絶えない、そんな自分になれるんじゃないだろうか。


「結果ではなくプロセスを楽しむ」

僕はそれを、これからの人生において、大切にしていきたい。



…そういったことを、
ふと、国境を越えた際にパスポートを眺めながら、
思い考えたのだった。


さて、国境を越えた後は、また熟睡モードに。
昨夜の徹夜がここまで効果があるとは思わなかったのだが、
思いのほか良く寝ることが出来て、
何と次に起きたのは、18時。

もうリオガジェゴスに到着した時だった。

「おーーー!思ったより早く着いた感じがするぞー!」と、
妙にうれしくなってしまったのだが、
それでも、朝5時30分に出発して、18時だから、12時間30分。


ブエノスアイレスまで約52時間の、
4分の1程度しか来ていないということに、恐れを感じてしまうのだが…
遠い…遠いぞ、ブエノスアイレス…。

まだあと、2800kmか…
軽く、日本縦断してしまう距離だぞ…。


バスターミナルに到着すると、早速、ブエノスアイレス行きのチケットを買うことに。

前回、ブエノスアイレスからエルカラファテまで行った際に、
このリオガジェゴスを経由する以降のチケットも、最初からまとめて買ってしまったのだが、
それは意味が無いということを学習していた。

同じバス会社で買うと、接続も悪いし、値段も適正だったのか良く分からない。


そして、前回も利用した、
この路線の最安バス会社「El Pinguino」を利用しようと思ったのだが、
なぜかターミナル内のオフィスが閉まっているではないか!

なんで!?くそー、他のバス会社は高いんだけどなぁ…。


一応、近くにあった、
「ANDESMAR」と「Traimat」という2社に聞いてみたのだが、
2社とも全く同じで、
次のバスは20時15分発車で、
セミリクライニングシートだと、352ペソ、
フルリクライニングシートだと、425ペソとのことだった。

うーむ。やはり高い。


どうするか…と、頭を悩ませた瞬間、気付いたのだが…
あれ?ついさっきまで閉まっていた、「El Pinguino」社のブースが開いてるぞ??

ものの1〜2分の間で、なぜかシャッターが開いて、営業開始していた。
意味不明なのだが、うれしい出来事だ。





◆いきなりシャッターが開いて営業開始していた
 「El Pinguino」のカウンター。
 シャッターが半開きのままだ(笑)



そして、カウンターに行ってみると、
バス発車は20時で、
値段は、
ノーマルシートだと、240ペソ、
セミリクライニングシートだと、275ペソとのことだった。

いいねぇ、安いねぇ!
(ちなみに、1ペソ=約35円)


前回の利用で、セミリクライニングシートも、
ほとんど座席が倒れないことを知っているので、
今回は、ノーマルシートに挑戦することにした。

約36時間の道のりを、ノーマルシートで突破するという
今回の旅において、最も過酷な移動の一つとして名を刻むであろう、英断だ。

でも、昨日の寝坊の反省もあるし、
その分も取り返さなければいけないので
贅沢は言えない。

やるしかない。


そして、クレジットカード決済で240ペソ(約8400円)を支払い、
チケットを購入。

どうなることやら…。


その後は、まだ2時間ほど待ち時間があったので、
休憩スペースのベンチに座って、パソコンを開いて日記を書くことに。

今は日記がリアルタイムに追いついているから、
頑張って思い出しながら書く必要も無いし、何だか精神的に楽。

一ヶ月分とか日記が溜まっていると、
それを取り返すだけで、1日記×2時間で、60時間もかかるんかいと思い、
気持ちが重くなってしまうのだ。





◆1時間30分ほど過ごした、リオガジェゴスのターミナル内。
 みんな暇そうにバスを待っている。
 インターネットカフェとか併設すれば、結構いけると思うんだけどな。



いつもながら、約1時間でパソコンの充電が切れたので、
仕方なくその後は何もせずバスを待ち、
20時前になってバスがターミナルに到着したので、バスに乗り込んだ。


さて、ノーマルシートとはいかに…と思いつつ、バスの2階に上がってみると、
なーんだ、全然問題なし!

シートはやや厚めで快適だし、リクライニングはあまり倒れないけれど、
まぁ、普通はこんなもんでしょう。

というか、前回はセミリクライニングで、30ペソ高いシートにしたけど、
全然変わらないじゃん!(笑)

むしろ、リクライニングはこっちのほうが倒れる気がする。

2階席だから、トイレも無いから臭く無いし、
後ろから5列目のシートにしたのだが、後ろのほうだと、
席自体に空きがあるから、隣のシートも使いたい放題。

というわけで、アルゼンチンの2階建てバスは、
2階後方のシートがベストであると学習したのだった。(今更遅いけど)


バスが出発すると、いつもながら、大音量で映画の放映が始まった。
しかも、画面が目の前にあるシートだったので、
眩しいし、見ようとしても、液晶が見えづらい。

ここは、必殺、「ipodの音楽で乗り切る作戦」だな、と思って、
ipodを取り出してみると…あれれ?音楽データが全部消えてしまっているではないか!

パソコンからデータを同期すれば、
ipodのデータは復活するだろうが、パソコンの充電は、先程切れてしまっている…。

つまい、このバスの長旅で、ipodが使えないという、悲しすぎる事実が判明したことになる…。


こうなったら仕方ない、「耐える」しかない。

車内の電気は消えて暗い状態なので、手元で何かをすることも出来ず、
外を見たり、ニットを深く被ってアイマスク代わりにしたり…
なんとか寝ようと試みるのだが、全く寝付けず。

これまでのバス移動で、熟睡しすぎたので、眠れないのだ。

結局、約2時間の映画放映中は、無心で耐え続けて、
やっと放映が終わり、静かになるので寝られるかなと思っていたら…
なんと、もう1本、今度はディズニー映画の放映が始まったのだった。

もうダメだ…。


この後の2時間程度は、もうあまり記憶に残っていない。
とにかく目をつぶって、寝たい、寝たいと心の中で呟いていたように思う。

しかし、結局寝付けず、
2本目の映画が終わり、やっと画面も消えて静かになった後、
さらにいろいろと体勢を変えながら…
寝付けたのは、たぶん、4時ぐらいになってからだったと思う。

寝付けないバスというのは、
予想以上にきついものだ…。

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