3月3日(月) マルセイユ滞在 <マルセイユ泊>

  1. 2008/03/16(日) 00:25:26 
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寝たのが遅いので、昼前に起床…

インターネットを開いてみると、
早速、ブログの日記に関して、コメントが来ていた。

その中には、先日お世話になったOさんからのコメントもあり、
内容は、もし良かったら、バーゼルに戻ってきてもいいぞ、というものだった。

何ともありがたい一言…。

ただ、既にバルセロナ行きへのバスチケットは購入済みであり、
まだブラジルビザの取得までの必要日数が分からなかったので、
ひとまず、それを調べてから、判断することにした。

偶然にも、バルセロナ〜バーゼル間は、
格安航空会社「RYANAIR」の運航があるようで、
比較的安い値段で、飛ぶことが出来ることを、この時知った。



そして、ちょっとお腹が空いたので、
ごそごそとキッチンをうろついていると、トムが部屋から登場。

「あれ?今日は仕事じゃなかったっけ?」と聞いてみると
どうやら、今日は出勤時間が
午後からで良いらしい(午前中は自宅にて調べものしていたらしい)

そのついでに、洗濯機の使い方を教えてもらい、
午後から、洗濯機を回すことにした。


ちなみに、しばらくすると、トムが部屋にやってきて、
「ところで今日、ランチは食べたのかい?」と言われたので、
「いや、何も食べていないけど…。」と答えると、
「これ、良かったら食べて。」と言って、サンドイッチを渡してくれたのだった。

どうやら、自分の昼食分を買って来るときに、
僕を気遣って、買って来てくれたようだ。

サンドイッチといっても、ここで買えば、5ユーロはするだろう。

本当にありがたいと同時に、トンの気遣いの素晴らしさというか、
優しさを、改めて知ったのだった。

こういうことが、さりげなく出来ることが、素晴らしい。



それを頂いた後は、
今日は、トラベラーズチェックの両替もしなければならず、
そのために、午後になって、家を出ることにした。

町の銀行を歩いて回りながら、
最後に、先日、領事館で教えてもらった両替屋に行って、
一番レートの良いところで行うことにした。

また、出発前に、ネットでレートを調べておいた。

昨日のニースの両替屋のレートは、確かに悪かったものの
飛び抜けて悪かったわけでもなかったようだ。

というのも、ドルのレートなど、ここのところ全く気にしていなかったのだが、
何と、1ドル102円まで下がってしまっていたのだ。

ええ!?と驚いてしまったのだが、
ユーロも1ユーロ156円ぐらいまで下げては来ているが、
それ以上にドルが下がっているので、
ドルからユーロへの両替のレートもさすがに悪くなる。

旅の出発前にトラベラーズチェックを買った時は、
確か1ドル119円、1ユーロ168円程度だったから、
その分だけ、為替の変動分、損をしてしまったことになる。

トラベラーズチェックの購入額から考えると…間違いなく、数万円は損をしたことになる。

なんてこった…。

かと言って、トラベラーズチェックを全く持たないことは、
もし盗難にあってカードを盗まれると、身動きが取れなくなる。

仕方ないといえば仕方ないのだが…簡単に数万円が吹っ飛んでしまった…。



家を出て、いつも通り、マルセイユの中心を走るカヌビエール通りまで出て、
そこから、港の方向へ歩いていくことに。

そして、途中道沿いを見ていると、両替屋があったので、
中に入ってみると、なかなか微妙なレート。良くも無く、悪くも無いといった感じ。

次に、近くの銀行へ行ってみて聞いてみたが、
ここでは、取り扱っていなかった。

そこで、他に両替屋は無いの?と聞いてみたら、
先日領事館に人に教えてもらった場所と同じ場所を言って来た。


その両替屋は、カヌピエール通りを港側へ歩いて行き、
左手にエールフランスのオフィスがある小さな交差点を左折すると、
オフィスの隣(または2軒奥)にあるのだが、
そこに行ってみると、これがかなりレートが良かった。さすが。

しかも、手数料は無し。

この時、レートは1ドルで0.644ユーロぐらい。
つまり、100ドル両替すると、64.4ユーロもらえることになる。

そこで、今後に必要は最低限の分を考え、
トラベラーズチェックをユーロに両替することにした。


これでミッションは完了。

その後は、道を家の方向に戻りながら、
途中で雑貨店があったので、ちょっと覗いてみることに。

先日の盗難でショルダーバックやら、時計なども失ってしまったので、
良いものがあればと思い探してみたのだが、いまいち見つからず。

手帳のみ購入(1.5ユーロ)して、帰ることに。

また、帰り際にスーパーがあったので、
そこで、ささやかな物ではあるが、今回、家に泊めてもらったお礼の気持ちとして、
パンやビール、トイレットペーパーといった、
みんなで食べられるもの、使えるものを購入して、
それをトムたちに渡すことにした。


家に戻ると、まずはシャワーを浴びることに。

そして、その後は洗濯機を回すことにした。
既に16時頃だったので、乾ききらないことは分かっていたのだが、
回せるときに回しておきたかった。


そして、洗濯が完了すると、部屋に設置しておいた
洗濯ひもを使って、干してみたのだが、
窓を開けると、意外と風が吹き込んでくるので、
早く乾燥してくれそうな感じ。

夕方からは、ちょっと眠かったので、また1時間30分程度仮眠し、
その後は、最後の荷物の詰め込みを開始するなど、慌しく準備を。

こうして、あっという間に過ぎ去ったマルセイユ滞在だったのだが、
なんだか、とても長く感じた。

ずっとこの家に住んでいたような気さえする。


この家には、アニックさん(盗難の時、最初に声をかけてもらった人)の娘さんが
以前住んでいたこともあるようで、
娘さんは、現在、芸術家として活躍しているらしい。

それもあってか、この家全体に、様々なアート作品が置いてあり、
アトリエのような雰囲気があるという、面白い家だった。

その雰囲気が、まるで映画の中に出てくるセットのようで、
その空間の中で過ごしていると、とても気分が良く、
本当に海外で暮らし始めたような感覚を受けたのだった。

こうした空間で過ごさせてもらった経験は、本当に良かった。

盗難による出会いで…マルセイユで仮想ホームステイならぬ、
仮想ルームシェアのような数日間を過ごさせてもらえた。


また、この家にはかわいらしい猫が住んでいた。

訪れた当日や次の日などは、僕と目が合っても「誰なの?」という目で見られたが、
今日などは、もうすっかり打ち解けてしまった感じで、
僕が廊下やキッチンに出ると、必ず部屋から出てきて、
僕の足にすりすり体を擦り付けてくるようになった。

そして、頭を撫でてあげると、ニャーというか、キャンといった感じの
かわいい泣き声で泣くのが、とても愛らしく、かわいらしかった。

頭を撫でられるのがうれしいのか、撫でてあげた後は
一層、体を擦り付けてきて、僕が歩くとずっと一緒についてくる。

あげくの果ては、僕の部屋までついてきて、
ベットの上にちょこんと乗り上げて来たのだが、
それはさすがにダメ!と叱ったのだが…(笑)

この猫の存在も、この家における不思議な思い出の一つになった。



…21時頃になり、トンが仕事から帰宅。
僕の荷物準備も、この頃全て終わっていたのだが、
今日は、バッチリ両替も完了したこと、
また、お礼に、ちょっとしたものではあるが、買い込んできたものがあることを伝えると、
「君はお金を抑えなければいけないのに…そうか、ありがとう、喜んで使わせてもらうよ。
 ただ、パンなどは、僕らは毎日誰かしら買って来れるから、何本か持っていきなよ。
 ビールも、良かったら今、少し飲んでいきなよ!」と返答してくれた。

そこで、僕の部屋のテーブルを使って、
立ち話をしながら、ビールを飲み、ピーナッツのつまみや、
パンをかじりながら、最後の乾杯を交わすことに。

短い期間であったが、またいつか、僕がベトナムに行くかもしれないし、
トンが日本に来るかもしれない。

その時は必ず連絡を取り合って、再び会おうという約束をした。

それは何年後…?分からないけれど、
お互いが、お互いの道を順調に歩んでいけること願って…

一つの出会いがあれば、別れがある。

この瞬間は、いつ迎えても寂しいもので、
世界という距離が、どうしても現実には存在するということを知る。

しかし、同じ世界の中に生きているという事実は変わらない。

それを想い、また僕は自分の道を踏みしめて、
歩き出さなければいけない。


…トン、ありがとう!!

そして、今回の滞在のきっかけとなった、アニックさんとは
最初の日に会って以来、そのまま会えず終いになってしまい、
ガリマも、部屋にいなかったので、出発間際に会えなかったが、
トンを通じて、よろしく伝えてもらうようにお願いした。

本当にありがたかった。


そして、時間はあっという間に21時30分頃に。

最後に、この瞬間を記憶に残すため、
トンのカメラを借りて、記念に写真を撮ることにした。


トムの部屋で、カメラを机の上に置いて、セルフタイマーで撮影することにした。

トンとの写真、そして、猫との写真も撮っておいた。

また、この猫が生きている間に、マルセイユに来る機会があれば、
一緒に遊んであげたいものだ。





◆トンと記念撮影を。優しすぎるナイスガイ。





◆猫と一緒に。
 かわいかったなぁ、この猫…。





◆ちなみにキッチンがある部屋はこんな雰囲気。
 パンかじりつき。



こうして、マルセイユにおける生活を終えて、
僕はバルセロナへと出発した。

21時45分に家を出発。
玄関までトンが見送ってくれて、
「またいつか会おう…!」と言って、握手を交わして、旅立った。


その後は、駅まで15分ほど歩いて、
22時に駅のバスターミナルへ到着。

そこで、先日チケット売り場の人に指定された
25〜26番の停留所の位置で待っていたのだが…。

発車時刻の22時30分になったのだが、
バスが現れず…

おかしいな…と思ったのだが、
同じ位置に、スペイン人のおじさんが1人だけいたので、
チケットを見せてもらうと、同じバルセロナ行きで、
このおじさんも、25〜26番から出発すると聞いたらしい。
(ちなみに、僕は英語で、
 彼はスペイン語で話すので、何となくジェスチャーで話す状態)

それにしても、バスは見当たらないし、
他に人が全くいない。

どうもおかしすぎる。


そのまま、23時頃まで、強風が吹きすさぶ寒い中、
外で待っていたのだが、やはりバスは現れず。

そして、スペイン人のおじさんがどこかに行こうとしたので、
「どこに行くの…??バスはどうするの?」と聞いたら、
「ホテル」と、「トゥモロー」と2言だけ言い残し、
おじさんは去っていったのだった…。

ああ…スペイン人のマリオみたいな顔のおじさんが行ってしまった…。
寂しい…。


ということで、これ以上待っても現れる気配がないので、
僕も、また家に戻ることにした。

夜遅い時間帯だったので、走って帰りたかったのだが、
荷物を背負った状態なので、それも出来ず。

もう治安が悪いとかどうとか言っても、どうしようも無い。


出来る限り早足で、周りを警戒しながら、
20分ほどかけて歩いて帰ったのだが、何とか無事に家まで戻ることが出来た。

先程、感動的な別れをしたばかりなのに、
また舞い戻って来てしまったのだ…すみません…(苦笑)

そして、呼び鈴を押すと…
トンが鍵を開けてくれ、開けて、階段を下りて来てくれた。

「どうしたんだい??」と聞いてきたので、
「いや…バスが来なかったんだよね…」と事情を話すと、
「そんなことってあるのか…奇妙だね…」と言って、
パソコンを取り出して来てくれ、eurolinesのホームページを開いて見てくれた。

オフィスのオープンは8時30分のようで、
明日のバスは、ネット上の情報だと、朝6時30分発と、9時発があることが分かった。


僕は、出来れば早くバルセロナに到着し、
そのままブラジル領事館の申請をして、夜には、サッカーの試合観戦をしたかったので、

6時30分のバスに合わせて、もう一度バスターミナルへ行ってみて、
もしバスが無かったら、また一度家に戻ってきて、
次の9時発のバスに合わせて、再チャレンジすることで、決定した。


そして、トンと別れて、部屋で寝ることに。

まさか、またこの部屋に戻って来るとは思わなかったのだが…
パソコンを開いて、インターネットでメールチェックだけすることにした。

すると…ブログの僕の日記に対して、
なにやら、誹謗中傷ともとれるコメントが一つ書き込まれていたことに気付いた。


誰だ…?と思ったのだが、知らない名前。
何だか、うっとうしいな…と思い、とりあえず、削除しておくことにした。

せっかく、これだけ心優しい人達との出会いで元気をもらったのに、
わけわからない奴からのコメントが来るとは…。
どうなってるんだ。


…それはさておき、明日も早いので、アラームをセットして、寝ることにした。

3月2日(日) マルセイユ→モナコ観光→ニース観光 <マルセイユ泊>

  1. 2008/03/16(日) 00:23:52 
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※2月28日に起きた、フランス・マルセイユにおける盗難事件により
 2月25日〜28日の写真データを失い、
 また、それ以降もカメラが無いため、僕自身が撮った写真データはありません。
 文章でお楽しみ下さい…。

_______________________________

7時30分頃起床して、8時30分の電車に間に合うように
駅に向かって出発した。

朝から、町は人通りも多く、
何だか様々な人種が集まっている。

電車に乗り込むと、結構混んでいたのだが、
しばらくの間、眠ることにした(もちろん、貴重品は衣服の中にキープ)


そして、ニースの駅を通り過ぎた頃から目を覚まして、
外を眺めていたのだが、このニース〜モナコ間の車窓からの風景は、素晴らしい。

列車は海岸沿いを走るのだが、
ここがフランス?と思ってしまうような南国ムード漂う町並みに、
青い空、青い海。

海岸沿いには、道路も走っているのだが、
ここをドライブで走ったら、最高に気持ち良いと思う。

また、途中には、湾になっているところがあり、
港や、海に浮かぶ無数のボートなど、その風景が完成されているかのように美しく、
電車からではなく、実際に降り立ってずっと眺めていたいと思えるほどだった。

車窓をしばらく楽しんでいると、
ニースを出て20分ほどで、モナコへ到着。


モナコと言えば、富豪達が集まる(または住んでいる)というイメージに尽きるが…

ガイドブックを見て、歩き始めようと思ったら、
うっかりミスに気付いてしまった。

何と、背負ってきたリュックサックの南京錠の鍵を、
バックの中に入れたまま、鍵を閉めてしまっていたのだ。

ということで、ガイドブックのコピーが取り出せず…。
何というイージーミス…。


仕方ないので、とりあえず駅を出て、歩いてみて
途中でホテル等、カッターを借りられそうなところで、南京錠を切ることにした。

駅を出た直後の風景は、
山の斜面に囲まれ、高速道路のようなものが上に走っているだけの風景で、
「あれ?ここがモナコ??」と、思ってしまうのだが、
5分も歩けば、そこには、港が広がっていて、
無数の豪華クルーズ船も泊まっている、まさしくモナコという風景が広がってきた。

あまりにもバブリーなその光景には思わず笑ってしまうほど。
こんなに豪勢な風景は、生まれてから初めて見た。


ひとまず歩き始めてみると、ちょうど、ボートの修理工場のようなガレージがあり、
中を覗くと、工具がたくさん置いてあったので、そこに入ってみることに。

作業をしている人がいたので、
「どーもー!ちょっと誤って鍵をリュックの中に閉じ込めてしまって…
 南京錠を切ってしまいたいので、カッターを貸してくれません?」と言って、
工具を借りることにした。

中にいた人は、「OK!好きな工具使っていいよ〜。」と言ってくれたので、
工具を見てみたのだが、カッター類は、どれも錆び付いていて、硬くて使えず。

うーむ…と思っていると、もう1人の人がやってきて、
俺に任せろと言わんばかりに、南京錠を機械で固定して、
バールでねじ曲げることで折るという方法で、あっさり南京錠を壊してくれた。

「ありがとうございます〜!」とお礼を言って、
再び町歩きをすることに。


こうして、ガイドブックを無事取り出せたのだが、
それを見ると、モナコは市内の一般道を使ったF1のコースが有名だが、
そこを歩いて回れるということがわかった。

ということで、F1のコースを左回りで1周する形で、モナコを観光することにした。

歩いていると、確かに、テレビのF1中継で見たことのあるトンネルなどが姿を現して、
あまりF1には興味のない僕なのだが、
テンションが上がってしまったのだった。

本当に、普通の一般道なのだが、
赤と白の縁石がしかれていて、ここで、本当のF1の真剣勝負が行われていると思うと
すごいところを今歩いているのだと、実感が込み上げてきた。


それにしても、F1コースもそうだが、
モナコの風景は、リゾートっぽさ満点で、美しい。

港に泊まっているクルーズ船が、太陽の光に照らされ、一段と輝き、
また、海の色も綺麗。

岸壁に打ち付ける波の音が聞こえ、
遠くには、いかにも高級住宅といった建物が続いている。

そして、気候も温暖で、
気持ちよく歩くことが出来る。

富豪が、このモナコに住み着くのも、わかるような気がする。


500mほどのトンネルを歩いていると、
そこをジョギングしている人に多く出会ったのだが、
モナコの町をジョギングするなど、何て優雅なことを…と思ってしまった。

完全に、貧乏人に成り下がっている視点だ(笑)


また、歩いていると、そこらじゅうでフェラーリが走っている。
ベンツやBMWは、当たり前の状態で、
たまに、アルファロメオとかを見ると、安心してしまう。

どうなってるんだ、この国は。


トンネルを抜けると、F1のコース上では、カーブがあるのだが、
そのまま少し直進して、なぜかモナコに存在する、日本庭園に行ってみた。

この日本庭園、敷地も意外と広いのだが、
しっかりと手入れされているし、
しかも、変な日本のイメージで勝手に作られたというわけではなく、
ちゃんとした、日本庭園となっている。

なんでここに庭園があるの??と思いつつも、
居心地がいいので、しばらく、ベンチに座って、
照りつける太陽の陽射しの暖かさに、気持ちよく休憩してしまった。

日本庭園にいることが落ち着くなんて、やっぱり日本人だなぁと、思ってしまった。


しばらく休憩した後は、再び歩いてF1コースに戻っていったのだが、
道沿いに並んでいる、自動車ディーラーの中身が、これまたすごい。

しっかりとした店舗を構えているわけではなく、
マンションの1階のテナントとして入っている、ビルイン型の店舗で
ガラスも重厚ではなく、普通なのだが、中に展示してある車がすごい。

フェラーリばかりがずらりと並んでいたり、
ベントレーがずらりと並んでいたり…

ベントレーの値段表をガラス越しに見てみたのだが、
「345000ユーロ」と書いてあった。

ああ…345000ユーロね………って、
それっていくらなんだ???と思い、計算してみると…
1ユーロ160円として、約5520万円。

おいおいおい…!!!!大変な値段やないけぇ!!

しかも、それが、大衆車のように、
無造作に何台も並べてあるから、驚いてしまう。


これって、防犯とか大丈夫なの??と思ってしまうのだが、そこはモナコ。

人口64人に1人の割合で警官が配備され、
また、犯罪が発生したと同時に、国境が閉鎖されて逃げ場が無くなるという
すごい環境なので、治安は飛びぬけて良いのだ。

うーん、だからこそ出来る、高級車の無造作な展示…。


あまりの桁違いな額、そして、そんな自動車ディーラーが
テナントに入っていたので、ひたすら歩きながら眺めていたのだが、
ビルの脇に、一台、別の車が停まっていたので、
何かと思い見てみると…

スズキのスイフト(笑)

あまりの金額のギャップに思わず笑ってしまったのだが、
一方で、妙に安心してしまったのだった。


さて、F1コースの道へと戻り坂を上っていくと、
カジノの建物が次々と見えてきた。

そして、しばらく歩いていくと、
カジノが周囲に集まる、公園のような場所があったのだが、
ここは、思わず息をのんでしまった。

綺麗に整備された公園、
それを取り囲むカジノやホテル。

駐車スペースには、フェラーリやベンツが引きめき合って停まり、
道沿いのカフェでは、多くのセレブ達が会話を楽しんでいる…。

まるで映画の世界。


上下アディダスジャージで来てしまった僕とのあまりのギャップが、
これまた笑えてしまった。


いや、本当にすごい。

ロサンゼルスのビバリーヒルズの高級邸宅群や、
ラスベガスのゴージャスな雰囲気も相当すごいが、
このモナコのモンテカルロ地区は、
比べ物にならないほど、突き抜けた高級感。

おそらく、世界一、ビップな風景だろう。

うーん…理屈抜きに、
こんな世界が本当に存在するのだということに驚いてしまった。


別に、僕はこうした豪勢なお金の使い方には興味は無いのだが、
単純に、こうした人達になってみたいとも思った。

しばらくあっけに取られてしまったのだが、気を取り直して、
そのままF1コースを辿って、モナコの駅近くの交差点へ戻って来た。


ここからは、港にほど近い、コンダミーヌ地区が広がっているのだが、
そこも、F1コースを辿りながら歩いてみることに。

モンテカルロ地区とは異なり、
レストランや、中流層のマンションといった建物が多かったのだが、
嫌味が無く整備されていて、道にゴミも落ちておらず、雰囲気が気持ち良い。

特に、特別に何か際立っているわけではないのだが、
なぜ、高級感がある町並みが作れているのだろう…と思い、
じーっと町の通りを見て、その違いを探したのだが、いまいち分からず。

やはり比較してみないと分からないのだが、
いかんせん、盗難によって手元にカメラが無いので、
それを写真に残せないのが痛い。


そして、そのままコースを辿ってぐるっと歩いて周り、
また、港沿いまで戻って来たのだが、
この辺りになると、観光客が多く集まっていて、
露店のメニューも、「フランクフルト・5ユーロ」などと書いてあったりして、
ちょっと安心してしまった。

そこから、港の駐車場をしばらく眺めていたのだが…
フェラーリに乗っている若い人がいたのだが、
その周りに群がる観光客。

観光客は、写真を必死に撮っているのだが…

うーん、僕が思ったのは、
「おお、すげー!フェラーリだ!!」なんて言って、人の写真を撮っているようでは、
いつまで経ってもそこから先には抜け出せないのだろうな、と思った。

僕は、フェラーリに乗るほうになりたい。


いつしか、このモナコに住めるような存在になりたい!という想いが込み上げてきた。

こうして、わずかな滞在時間ではあったが、モナコ観光を終えたのだった。

自然風景でもなく、歴史的建築物でもなく…
現実の世界における都市(国)という意味では、
ヨーロッパの旅において、僕は、このモナコが一番刺激を受け、
そして、勇気付けられるものがあった。


さて、モナコの駅に戻ると14時頃だったのだが、
14時20分発のニース行きのチケットを4ユーロで購入し、
電車に乗り込んで、ニースまで移動した。

ちなみに、車内で車掌は回って来ず…
まぁ、無賃乗車は犯罪なのだが、どうも、車掌が回ってこないと、
「だったら買わなくても乗れたやんけ」と思ってしまう。

この改札の無いヨーロッパの鉄道システムは、何て曖昧なんだろう…。


トラベラーズチェックの現金化をどこかでしたかったので、
ニースに到着して、駅前にある両替屋に行き
レートを確認してみたのだが、どうもレートが悪い。

僕が持っている残りのトラベラーズチェックは、
USドルなのだが、ユーロへの両替レートを聞いて、驚いてしまうほど悪い。

おかしいな…と思い、今日は両替をせず、
帰宅してから、ネットでレートを調べてみることにした。


その後は、ニースの町を海岸沿いまで歩いていったのだが、
ニース駅前は、何だか汚れていて綺麗ではなかったのだが、
ひとたび海岸沿いまで近づいてみると、ガラっと雰囲気が変わり、
何とも過ごしやすいというか、穏やかな空気の流れる町並みが広がっていた。

観光地なのか、そうではないのか、その半々を行っているような感じ。

通り沿いには多くのカフェやレストランが軒を並べているのだが、
かといって、マンションなどの住宅も見られる、不思議な町だ。

歩く途中で、スーパーがあったので、パンを買って、
それを食べながら歩いていった。


そして、海岸沿いまで出てみると、
そこには、フェスティバルの道が出来上がっていて、大音量で音楽が流れ
賑わっていた。

ニースのフェスティバルというのは、有名らしいのだが、今日がその最終日。

フィスティバルといっても、どんなものかと思ったのだが、
動物の形や、怪獣の形をした大きな山車が次々と出ていて、
通りをゆっくりと進みながら、それを、特設で設置された道路脇の観客席から見る、
というものだった。


ちょっとゆっくりしたかったので、
いきなり観客席には行かず、そのまま海岸に降りて、
腰を下ろして、しばらく海を眺めていた。

海岸は、砂浜ではなく、小さな石が転がっている浜だった。

打ち付ける波を見ながら、何も考えずに、ただ、海を眺めていた。


…海岸沿いから見るニースの町並みも、素晴らしいものがあるのだが、
カメラが無いので、これも写真に収めることが出来ない。

これほどまでに、カメラが無いことが
旅をつまらなくさせてしまうものなのだと、思い知ったのだった。


何だか、カメラが無いままに、町を歩いても、
もちろん記憶には残せるのだが、それを見返すことも出来ないし、
いつしか、記憶は消えていってしまう。

そう思うと、これ以上、無理にいろいろな場所へ行くことの価値が
僕の中でだんだんと薄れていくのを感じた。


そんなことを思いながらも、
ふと、フェスティバルの会場へ行ってみるかと思い、
階段を上って、会場へ入ってみると、ほとんどの観客が帰り始めていた。

後で分かったのだが、もう夕方でフェスティバルは終わりだったのだ。

最後の山車が、道を走っているタイミングで、僕はそれを見たのだが、
それで十分だった。フェスティバルの雰囲気に触れられたのだから。



そのまま、海岸沿いを東に歩いていったのだが、
このニースのフェスティバルの特徴として、もう一つ面白いことがあった。

それは、昔(20年前ぐらい?)、日本でも良くみかけたのだが、
スプレー缶で、押すと発砲スチロール状の糸みたいなものが、
スプレーから噴出されるというものがあったと思うが、
ニースのフェスティバルでは、これをみんなで掛け合うのだ。

また、小さな紙ふぶきを持って、これも掛け合う。

道行く人に向かってそれをやるので、
お互いが好き勝手掛け合って、楽しむのだ。

フェスティバルは終わりかけであったが、
僕も道を歩いていたら、スプレーをかけられ、紙ふぶきも頭からかけられた(笑)


日常を忘れて、みんながはしゃいでる姿を見ていると、
やっぱり、こうした時間って必要なんだな、と感じた。


そのまま海岸沿いを行くと、城壁があったので、
階段を上っていき、城壁から眺めるニースの町並みの展望を眺めた。

ちょうど日が落ちていく時間帯だったのだが、
空には無数の飛行機雲が交差していて、海岸線も美しく、
その風景は、僕の理想に近いものだった。

この雰囲気…
ちょっと、将来住んでみたいと思ってしまうものだった。

僕は、世界を回りながら、いつか住むとしたら、
どの都市が良いだろうと思っているのだが、このニースは、
これまでの中でも、理想に近いものを感じた。


城壁からの風景を楽しんだ後は、階段を降りて、
市場のような通りを抜けながら、駅に向かって戻っていった。

ただ、途中でもう一度海岸が見たくなり、
浜まで出て、そこを歩いていった。


もう、さっきまで賑やかだった通りは、フェスティバルが終わり、
スプレーや紙ふぶきが散らかっている道を、
空気が噴出するホースみたいなものを抱えた人が大勢出て、
掃除をしていた。

フェスティバルの終わりって、どこか物悲しいものがあるのだが、
それがまた、哀愁漂って、僕は好きだ。


海岸沿いに出ると、ちょうど夕日が沈んでいくタイミングで、
太陽の方向を見ると、海がオレンジ色に輝いていた。

こんなにオレンジ色に輝いた海を見たのは初めてだった。

つい、腰を下ろして、ずっとその海を眺めてしまった。

また、逆方向を見ると、空がピンク色に染まっていたのだが、
本当に美しいというか、幻想的というか…
ニースの海を交えた風景は、僕にとって新鮮で、また、鮮烈なものだった。

空が暗くなっていくまで、
海辺で、ずっと眺めて過ごしていた。


その後は、駅に向かって歩いて戻ることに。
町は夜を迎えていたのだが、
イルミネーションも派手すぎず、バランスよく使われていて、
何とも雰囲気が良い。

とにかく、歩いているのが楽しいというか、
気軽に、それでいて安っぽくない印象。

ニースは面白い町だった。


駅に到着すると、マルセイユ行きの電車までは、
まだ2時間もあった。

混雑を予想して、モナコで既にチケットを買っておいたのだが、
思ったよりも早くフェスティバルが終わってしまったので、時間が余ったのだ。

そこで、窓口にいって、もう一本前の列車に変えてもらえないか聞いてみたのだが、
チケットの変更は、10ユーロかかるらしい。

ということで、変更は断念し、
ベンチに座って、ただ、何も考えず、待つことにした。

待つことに、段々と馴れてしまっているかもしれない。


そして、2時間後になり、
列車が到着したので、それに乗り込み、マルセイユへ。


マルセイユに到着したのは、0時近かったのだが、
何といっても、治安の悪いマルセイユで、この時間帯に歩くというのは
自殺行為に近い。

はっきりいって、かなり恐かったのだが、
いざ、駅を一歩出てみると…
暗い道が続いていて、どこか殺気すら感じる。

これは相当やばいな…と、直感で感じた。


そこで、必殺、ジョギング作戦を敢行することにした。

僕の服は、上下アディダスジャージだったのだが、
ずっと走って家まで帰れば、さすがにそれを追いかけてくる人はいないだろうし、
また、見た目も、ジョギングしている人のように見える。

というわけで、駅を出てからは、一回も停まらずに、
走って家まで戻ったのだった。

途中で、暗い路地に入ると、
明らかに危険そうな黒人などが、たむろしているのだが、
僕は、その横をさっそうと走り抜ける。

彼らも、何でこの時間に、アジア人がジョギングしてるんだ?と
変な目をして見てるのを感じた(笑)


こうして、何とか危険地帯を走り抜けて、無事家に帰宅。
ホッと一息して、ネットでメールチェックを…。


と、ここで、知人との何気ないメールのやり取りだったのだが、
ちょっと僕の中では気になるフレーズがあり、
うーん、そう言われてもなぁ…という違和感を感じたことがあった。


そこで…
今回の盗難事件に関しても、時期尚早ではあるかもしれないが、
今の状況、そして想いを鮮明に書き残して、吐き出したいと思い
文章を書いてブログにアップすることにした。

これが、「フランスでの盗難事件と、今後について」の文章だった。


僕だって、そんなに強い人間ではないし、
苦しい思いだって、いくらでもある。

それを、伝えたいし、わかってほしい、という思いを乗せて、
そのまま2時間ほどかけて、ザーッと、今感じていることを、文字に落とすことにした。


書き終えた時には、どこかすっきりした気分になった。
これが今の、僕が感じている正直な気持ちだったから。

別に誰からの反応を期待していたわけでもないのだが、
吐き出せたことで、自分を落ち着かせることが出来たのだった。

…そして、眠りにつくことが出来た。

3月1日(土) マルセイユ滞在 <マルセイユ泊>

  1. 2008/03/16(日) 00:21:50 
  2. カテゴリー:フランス France  
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9時頃、目が覚めて、インターネットに向かい始める。

今日は、マルセイユの観光などもせずに、
今後の予定を考えるなど、ゆっくりと過ごすことに決めた。

午前中は、メールの連絡であったり、
また、久々に、日本のニュースなどをネットで見るなど、
頭を使わずに、ボーっと過ごすことにした。


午前中の間を、何も考えずに過ごせるなんて、
何て幸せなんだろうと思った。

こんなにゆっくりと時間を使うのは久しぶりだ。





◆トンに撮影してもらった写真。
 部屋では、こんな感じでパソコンに向かっていた。
 それにしても、表情が硬いなぁ。



午後になると、そろそろ予定を具体的に考えなければと思ったのだが、
トンにも相談したいこともあり、トンの部屋に行って話しかけることに。

すると、鉄道の運賃であったり、バス運賃であったりと、
トンもパソコンを持っているので、検索するなどして、一番安い方法を考えることになった。

予定としては、明日(3月2日)は、ニースのフィスティバルの最終日であり、
それに加えて、モナコまで鉄道で行ってみることにした。

そして、マルセイユからバルセロナの移動は、
3月4日に、バスで移動することに決めた。


そして、後はチケットの購入なのだが、
バス会社のオフィスが閉まる17時までに行く必要があり、
15時頃になって、トムも一緒について来てくれるということで、
2人で家を出発した。


まずは、歩いてマルセイユ駅まで向かったのだが、
天気も良く、気持ちよく歩くことが出来た。

ただし、マルセイユの駅周辺は治安が悪いので、
特に夜などは、注意が必要。


駅に到着すると、ついでに両替が出来ればと思ったのだが、
駅構内には両替屋が無く、出来ず。

でも、まだ手持ちのお金でチケットは買えるので、
先に、バス会社のオフィスまで行ってみることにした。

地図を見ながら、トンの案内についていったのだが、
どうも場所がわかりづらい。

道を行ったり来たりしながらだったのだが、
意外にも?バス会社とターミナルは、駅ビルのすぐ裏側で、
なんだ、こんなところにあったのかと思ったのだった。

そして、バス会社「eurolines」のオフィス(といっても見た目コンテナハウス)に行き、
バスの時間と料金を聞いてみると、
日によっても運行の有無があるようだが、
午前中には、マルセイユ9時発・バルセロナ18時着、
夜行では、マルセイユ22時30分発・バルセロナ6時着があると分かった。

既に、この時点で、インターネットで調べた情報と違っていたのだが、
やはり、直接来ないとわからないものだ。

その後、トンとも相談して予定を考えて、
3月3日の夜行バスで移動することにして、
チケットを購入(36ユーロ)したのだった。


そして、次は鉄道チケット買うためにチケット窓口へ。
タイムテーブルをまず確認してみたのだが、一番良いのが、
マルセイユ8時30分発のモナコ行きがあったので、
それを購入(31ユーロ)した。

これらのやり取りの歳、トンがフランス語で、
オフィスの担当者と話してくれたので、スムーズに話が進み助かった。


こうして、無事チケットを購入し終えて、家の方向に戻り始めたのだが、
トンは、奥さんにプレゼントを買うということで、
ダウンタウンのほうに寄ってから帰るという話だったが、
僕は、そのまま家に帰ることにした。

トンも、プレゼントの購入だとしたら、僕がついていったら気を遣うだろうし、
また、僕もまだ疲れが残っていたので、家でゆっくりすることにした。


家に戻ると、何だか眠かったので、少し寝ることにした。

そのまま、夜は特に何もせず、
ネットでメールをしながら、今後の復旧に向けた対応のやり取りをしたり、
少し、日記を書き進めてみたりと、
パソコンに向かって過ごした。

2月29日(金) マルセイユ滞在 <マルセイユ泊>

  1. 2008/03/16(日) 00:15:58 
  2. カテゴリー:フランス France  
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※2月28日に起きた、フランス・マルセイユにおける盗難事件により
 2月25日〜28日の写真データを失い、
 また、それ以降もカメラが無いため、僕自身が撮った写真データはありません。
 文章でお楽しみ下さい…。

_______________________________


夜中、4時30分頃に起きる。

1時間30分前までの挑戦では、
なぜか無線LAN接続がうまくいかず、インターネットが使えなかったのだが、
再び試してみたが、やはりつながらない。

うーん…と、考えて、
モデムをもう一度見てみたのだが、
あら、良く考えたら、有線でLANケーブルを
そのままノートパソコンに差し込めばいいじゃないの?と思い、
ブスっとケーブルを差してみたら、普通にネットにつながったのだった(笑)

早速、日本にいる家族にメールで、
今回の盗難事件の報告と、クレジットカードの停止の連絡を。

時差もあるので、日本は今、12時30分。
すぐに対応してもらえる時間帯なので、おそらく大丈夫だろう。

この間に、既に被害が出ていたら、
もうどうしようもない、覚悟を決めるしかない。


ひとまず、最優先の対応ができたので、
それ以降は、今後の対応策について、考え始めた。

この先、どうすべきか…。

これだけの状況になると、
また、とんでもなく家族に迷惑をかけてしまうことになる。

というか、そもそも盗難の連絡すること自体が恥ずかしいほどだ。

これ以上、迷惑をかけ続けて、旅を続けることに意味はあるのだろうか。
その是非について、考える必要がある。


…ただ、睡眠不足だと、また何か判断ミスも起こるだろうし、
疲れもあったので、アラームをセットして、
6時頃から、1時間30分だけ、睡眠をとることにした。




そして、7時30分に起床。
45分頃になって、トムが声をかけて来てくれた。

今日は、トムが出勤するタイミングで一緒に家を出て、
途中の駅まで行き、そこから道の方向を教わってから、
日本の領事館に行くことにしたのだ。

8時に家を出て、最寄の地下鉄の「N.D DU MONT」駅まで歩きながら道を教わり
そこから4駅ほど先にある、スタジアムの駅で下車。

階段を上ると大きな通りがあったのだが、
そこで、トムと別れて、歩いて領事館を目指すことになった。

道のりでは、4kmほど。

大きな通りを歩きながら、海岸沿いまで出て、
突き当りを左に曲がり、しばらく歩いて、また左折。

これで、領事館のある通りに出たのだが、
住所は控えているものの、詳細の位置が分からない。

そこで、道で立ち話をしていたスーツ姿の2人組みに声をかけて、
場所を聞いてみると、「だいたいこの辺り。」と、地図に印を付けてくれた。


そして、再び歩くこと約10分。
日本の領事館が入っている建物を発見。

意外と簡単に見つかって良かったのだが、
ビルに入って2階に行くと、受付のフランス人が出てきた。

どうしたのですか?と聞かれたのだが、
日本人スタッフと話したほうが早いので、そうしてもらうことに。

そして、日本人スタッフの人と話してみると、
既に、昨日の電話の件が、領事館にも連絡が入っているようで、
事情は伝わっていた。
(このあたり、さすがだな、という感じ)


そして、ひとまずパスポートと、警察のポリスレポートに関して聞いてみると…
まず、本来はポリスレポートが無ければ、パスポートは再発行出来ないらしい。

ただ、場合によっては、
ポリスレポートが無くても、
パスポートの再発行を受諾する場合もあるようだ。

今回のケースでは、警察側が通訳をつけろだの何だのと言ってきているのだが、
どうやら、日本の領事館がバックに入っていると分かると、
そうした要求をしてくるらしい。

ただ、過去の例で言うと、英語の話せる警察官がいるタイミングで行けば、
話も通じて、ポリスレポートも取得できるようなので、
そこは、昼の時間帯などにもう一度警察に行って
「通訳などつけるお金は無い」とつっぱねてみることになった。

また、パスポートに関しては、
僕の場合、約3週間後には、南米に行く予定もあり、
また、その前にはブラジルビザを取得しなければならない。

また、そもそも、それ以前の問題で、お金が無いので、
トラベラーズチェックを現金化する必要があるのだが、
その際に、パスポートが必要になる…。

というわけで、ポリスレポートを待たずに、
最速で、再発行の手続きをこの場で取ってもらえることになった。


パスポートは、5年で75ユーロ、10年で109ユーロという値段だったが、
お金も無く、また、10年先まで有効期限があっても先は分からないので、
5年で作成することにした。

申し込み用紙を記入しようと思ったのだが、写真が必要とのこと。
そういえば、僕は荷物に、ビザ取得などの目的のために、
照明写真を何枚か入れてあるのだが、家に忘れて来てしまった。

ただ、今から取りに戻っても、結局、電車代もかかるので、
近くのショッピングセンターで、照明写真を撮ってくることになった。


そして、領事館から歩いて3分ほどのショッピングセンターに行って、
そこに照明写真の機械があったので、パスポート用の写真4枚で4ユーロという値段で
白黒写真を撮影した。

それを持って急いで領事館へ。

すると、入り口前で、スタッフの人がタバコを一服していたのだが、
話を聞くと、今、オンラインシステムがつながらない状態らしく、
パスポートの情報のやり取りが出来ないので、ちょっと待ってくれ、と言われた。

「まぁ、ゆっくりしていけや。」と言われ、
そこで、立ち話をすることに。

この人は、以前は、カメルーンの領事館にいたようで、
その頃は、明らかにバックパッカーといった井出達の人がゴロゴロ現れたようで、
それを見ているのだが、ある意味楽しかったようなのだが、
マルセイユに来てからは、いかにも観光客といった人ばかりが訪れるようで、
今日は僕を見て「久々にバックパッカーっぽい奴が来たぞ」と、妙に懐かしくなったらしい。

愛媛出身の方で、関西弁に近いイントネーションで話すのだが、
何とも人情肌の人で、少し話しているだけで、何だか元気が出てきた。


そして、しばらくしてまた2階のオフィスに戻ったのだが、
申請用紙に写真を貼って、書類を提出し、待つことに。

そして、30分もたたないうちに、
呼ばれたのだが…


「はい、これが新しいパスポートね。」と言って、
パスポートをもらえたのだった。

昨日は、緊急対応窓口の人いわく、
パスポートの再発行には1週間かかると言われていたので、
この、あまりの早さにびっくりしてしまった。


聞くところによると、領事館の対応人数などによって、
再発行のスピードというのは、変わってくるらしい。

それにしても、本当に早いスピードで対応してくれたことで、
一気に、旅への復帰に向けた光が差し込んだのだった。

もし、再発行に1週間かかるといったら、
それまで、ずっとマルセイユで待たなければならなかった。
(パスポートが無いため、国境も越えられない)

ありがたい…。



ちなみに、今の手持ちのお金では、75ユーロが無かったので、
ポリスレポートの取得に警察に行くついでに、
両替屋で、トラベラーズチェックを換金し、また、領事館に戻って来るという約束をして、
ひとまず、領事館を後にすることに。

レートの良い両替屋も教えてもらい、
また、帰りのバスの行き方なども教えてくれ、丁寧な対応が気持ちよかった。


領事館を出ると、近くのバス停から乗って、
スタジアムの地下鉄駅まで行き、そこから、家の最寄駅に戻り、
歩いて家に帰った。

合鍵をもらっていることもあるのだが、
何だか、このマルセイユで自分の部屋を借りて、生活を始めたかのような
不思議な感覚だった。


部屋に戻ると、まずはメールチェックを。
すると、家族から返信が来ており、既に、クレジットカードは停止してくれたとのこと。

また、被害はまだ出ていなかったようで、一安心だ。

パスポートが、すぐに再発行してもらえたことを報告すると同時に…
僕の中で、やはり、旅を続けたいという気持ちが湧いてきて、
自然に、対応策について考え、メールを送っていた。

ブラジルのサンパウロにて、
日本人の人と合流する予定があったので、
それに合わせて、必要な荷物を国内で揃えてもらい、
その人を通じて荷物を持ってきてもらい、サンパウロにて受け取る作戦を考えた。

最低限必要なのは、
カード類と、カメラ、ビデオカメラだ。

これらについて、方法を考え、
大変な迷惑をかけてしまうが、
もし可能であれば、対応をお願いしたい旨を、家族に送った。

もしそれが時間的、体力的に不可能であれば、
この旅を終えようと思っていることも、メールした。


そうしてメール対応をしていたら、携帯電話が鳴ったのだが、トムからだった。

トムが、領事館に行ったうえでの状況について、
心配して電話をかけてきてくれたのだが、
最速でパスポートが再発行してもらえたことを伝えると、
「それは良かった!」と言ってくれた。

彼は、本当に気が利くというか、優しい人だ。


そして、再出発をして、今度は警察に向かった。
昨日訪れた警察署に行ったのだが、
まぁ、彼らの中で、連携は全く取れていないので、
またゼロから説明しなければならない。

面倒なのだが、受付に行って事情を話すと、
これまた、英語が通じない。

「誰か英語が話せる警察官はいないの??」という質問自体が
理解してもらえないので、先に進まない。

すると、近くに1人、
カタコトレベルだが、英語がわかる警官がいて、
その人が多少、理解を示してくれ、
とりあえず待っていたらまた呼ぶからと言われ、席に座って待つことに。


でも、本当に理解しているのだろうか…と不安に思っていると、
隣に座っていたフランス人の若者が声をかけてきてくれて、
「僕は英語が話せるから、通訳してあげようか?」と言ってくれたのだ。

これはありがたい。

早速、受付のカウンターまで一緒に来てもらい、
昨日の盗難事件から、パスポートの再取得までの状況、
また、ポリスレポートを取得したいことを、通訳してもらった。

助かった。


ただ、実際の書類作成にあたっては、
彼にずっと通訳としてついて来てもらうわけにはいかず、
この点に関しては、書類作成時に、日本の領事館に電話をつないで、
受話器を渡しあいながら通訳のような役割をしてもらい、
書類を作成する方法で行う案が出た。

そこで、電話を領事館にかけてもらったのだが、
どうやら昼休みの時間帯のようで、つながらず。


また、しばらく待つことになったのだが、
そうしていると、今度は別の警察官が現れて、
別室につれていかれて、そこで、書類作成をすることになった。

全くもって、警官の間での連携が出来ていないので、
チグハグな展開。


この警官も、英語が話せないので、頭を抱えているのだが、
領事館に電話をする案や、また、デスクにあるパソコンでインターネットにつなげられれば、
WEBの翻訳サービスを活用して話が出来ると伝えたのだが、
それも伝わらず…。

どないするねん、と思ったのだが、
ちょうど廊下を通りがかった別の警察官が、
かなり最小限だが、英語が理解できるようで、
彼を通じて、状況に関して、通訳してもらった。


そして、後は、盗まれたものを英語表記で良いから、
メモに書いてくれと言われ、それを書き終えて渡すと、
パソコン上で、書類作成を開始してくれた。

後は、盗まれた時間とか、場所とか、単語でも通じるレベルだったので、
何とか、30分ほどで、書類作成が完了。


これで何とか最低限の手続きを終えることが出来た…良かった…。


それを持って、早速、日本の領事館に戻ることに。
地下鉄とバスを使って領事館に戻り、ポリスレポートと、
パスポート再発行料を支払い、手続き完了。

後は、後日、日本国内から、戸籍謄本を、
領事館宛てに郵送で送れば、全て完了らしい。


窓口では、午前中に話した人が出てきてくれたのだが、
「また、気持ち切り替えて、旅を楽しんでな!」と、激励してくれた。

ちなみに、余談だが、先日、大学生の女の子が
パスポートの盗難にあって、現れたようなのだが、話を聞いて驚いた。

何と、盗難の前日には、イタリアのミラノで盗難に遭っており、
パスポートを再発行してきたというのに、
また、次の日、このマルセイユで、盗難に遭ってしまったというのだ。

しかも、手口がひどく、
数人の若い男性に取り囲まれて、首を絞められ、ナイフを突きつけられて、
さらに、バックの紐をナイフで切られて、バックごと盗られたというのだ。

それはひどすぎる…。

この女の子は、泣きながら領事館に駆け込んできたらしい。


そうした、凶悪犯罪もあることを考えると、
命があっただけで、本当に良かったのだと思えた。

そして、海外における危険性を、今一度認識したのだった。


領事館を後にして、またバスと地下鉄を乗り継ぎ、
家に戻る途中にスーパーでパンと水を買い込んで、
17時頃帰宅。

パンを食べて、食事代わりにしつつも、
昨夜からの一連の対応と、最低限の手続きが無事終えられたことの安心感で、
疲れがどっと出た。

昨夜はシャワーを浴びずに寝たので、
シャワーを浴びてさっぱりした後、ベットに横になり、寝ることにした。



…そして、20時頃になって、
トムが仕事から帰宅。

ポリスレポートも無事取得できたことを告げて、
あとは国内の家族のサポートが受けられれば、旅が続けられそうだということを話した。

トムはそれを喜んでくれ、
また、今夜の夕食をご馳走するよと言ってくれた。

仕事帰りで疲れているというのに、
そのままキッチンで料理を始めてくれて、
ステーキやサラダなどを用意してくれた。

そして、広めの玄関スペースのような場所に、
机と椅子を持ってきて、そこで夕食を食べることに。

ビールを開けて、ひとまず、今日の対応が良い方向になったということを乾杯。


その後は、旅の話であったり、
また、ベトナムのこと、日本のこと、
そして、お互いの仕事の状況などについて、様々話した。

また、日本の男女間における、
労働環境の違いなどについても質問を受けた。

どうやら、トムは医者の卵(研修医かな)のようで、
今はフランスにいるらしい。

彼は、英語も、フランス語も話せるのだが、
おそらく、ベトナムでは、相当優秀な部類に入るだろう。

お互いのこの先の人生の描き方などについても、話したのだが、
やはり、大事なのは「生きがい」であったり、
「好き」という気持ちや、「やりたい」という意欲であるといったことも話した。

しかし、「生きがい」って何て言えばいいんだ?とか思いつつも、
電子辞書を盗難で失ってしまったことで、調べられず。

少ない語彙力で、無理やり話をつないでいったのだが、
まぁ、ニュアンスは伝わったと思う。



そうして、2時間近く、ビールを飲みながら話を交わしたのだが、
盗難という事件に襲われてしまったけれど、
それが無かったら、こうして今日、この場で彼と話しをする機会など
生まれていなかったと思うと、人生って本当に不思議で、面白いものだなと思った。


トムは仕事で疲れているようだったので、
あまり長く話しすぎずに、今日は終えることにした。

明日は、トムも休みということだったのだが、
僕の今後の予定に関しても相談して、
ひとまず、明日は、今後の目的地へのバスや
鉄道チケットを購入しようという話しになった。

トムに、僕の当初の予定を話し、
また、今回の盗難を受けた上で、それでも金銭的に可能であれば、
南スペインなども回ってみたいと思ってはいるのだけれど…と言ったら、
「本当に南スペインに行くことが、君にとって必要なの?」と返答が来た。

これには、ハッとさせられたのだが、
確かに、この状況下において、また慌しくそれらの都市を回ることに、
どんな意味があるのだろう、と思ってしまった。

これまで、鉄道パスがあることで、
次々と新しい国や都市を回ってきたのだが、
一瞬、足を止める良いきっかけをもらったような気がした。

新しい場所を次々と回るだけが旅じゃない、
足を止めて静かに周りを見渡すのも、旅なんだと。



トムと別れて、僕は自分の部屋に戻ったのだが、
明日以降の予定を考えてみた。

当初は、南フランスでは、
アルル、アヴィニョン、カルカッソンヌといった都市に行きたかったのだが、
この状況となっては、バスや鉄道を自分で購入しなければならず、
その手間も大変なので、思い切って、これらの都市への訪問は全て削ることにした。

ひとまず、落ち着いたところで、スペインのバルセロナに移動して、
ブラジルビザの取得に動いてみて、その取得にかかる日数などを計算して、
スペイン以降の旅行を判断することにした。

そして、今日は、少し早めに寝ることにした。

2月28日(木) イタリア(ミラノ)→フランス(マルセイユ)※盗難事件発生 <マルセイユ泊>

  1. 2008/03/15(土) 10:23:09 
  2. カテゴリー:フランス France  
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  4.  【コメントの閲覧・作成
※2月28日に起きた、フランス・マルセイユにおける盗難事件により
 2月25日〜28日の写真データを失い、
 また、それ以降もカメラが無いため、僕自身が撮った写真データはありません。
 文章でお楽しみ下さい…。

_______________________________


徹夜明けのまま、部屋に戻って荷物をまとめて、
7時30分から始まる朝食を食べるために、宿のレストランへ。

朝食がどんなものかと思ったら…
イタリアのユースホステルの定番(?)、
スカスカのパン+飲み物コップ1杯だった…。

ローマ、フィレンツェ、
そしてこのミラノで3回も出会ってしまった最低の朝食に
悲しくなってしまったのだが、3分ほどで朝食を終え、
宿を出ることにした。


地下鉄に乗って、ミラノ駅へ。
そこからローカル線に乗って、フランスの国境に近い、
ヴェンティミリアまで行くことにした。

もっと速い列車で行く事も出来たのだが、
国際列車になるので、追加料金が15ユーロ程度必要になることから、
今日は、ゆっくりとローカル線に乗っていくことにした。


そして、電車に乗ると、約5時間ほどかけて、
ヴァンティミリア駅に到着。

この駅で、次のニース行きの列車を45分ほど待つことになったのだが、
駅前を歩いていると、商店があり、パンと水を購入。

この店の店主のおじさんは、
「すごい重そうな荷物を持っているね。
 荷物を置いてゆっくり見て回りなよ。」と優しい声をかけてくれた。

ヴィンティミリアは南フランスに近いこともあってか、
これまでの都市とはガラっとイメージが変わり、
ヤシの木も生えているなど、南国ムード。


駅前を歩いた後は、駅のホームに戻った。
ニース行きの電車が到着し、それに乗り込んだのだが、ここで感じたのは、
列車の外壁の落書きに関してだ。

車内が汚れているのは、もう馴れたのだが、
外壁がスプレーによる落書きでいっぱいなのだ。

ニューヨークの地下鉄の例にもあるが、
当時、落書きでいっぱいだった地下鉄の車両を
一気に落書きを消すことにより、犯罪の発生率も下がったという話だ。

やはり、「割れ窓理論」にもあるが、
一つの落書きがきっかけで、そこから落書きが広がり、
結果として、治安が悪くなるということがあるだろう。

そういった中で、これだけの落書きをそのまま放置している
イタリア(フランス側?)の国鉄の姿勢は、ぬるいというか、
甘いとしか言いようが無い。
とにかく意識が低い。


それはさておき、ヴィンティミリアからニースは、約1時間で到着。

ここで、ちょっとした問題が起きたのだが、
この列車の到着が遅れたため、乗り継ごうと思っていた列車は既に出発しており、
何と、次の電車を1時間30分も待たなくてはいけなくなったのだ。

最悪だ…。

なんで、このように電車がすぐに遅れるのだろうか。
イタリアもそうだが、フランスは、特に列車の遅延が多い。

乗客の迷惑など、全く気にしていないかのように、普通に遅れるのは、
その原因がどこにあるのか、不思議に感じてしまう。


結局、駅のチケット売り場の椅子に座って、
パソコンを開いて日記を書くなどして、暇を潰すことになった。

そして、やっとのことで、マルセイユ行きの列車が来て、
その1等車のコンパートメント(個室)に乗ったのだった。


列車に乗ると、また眠気が襲って来たので、ちょっと寝ることに。

そして、1時間ほどして一度トイレのために起きて、
また席に戻って寝ることに。

この時、19時頃だったのだが…。



次に起きたのは、20時頃。
そして、起きた瞬間に、変なことに気付いた。

「あれ…バックはどこだ…??」

そう、寝るときには体で抱えていたバックが、無くなっていたのだ。


「もしや、やられた(盗まれた)のか…!??」と、一気に焦燥感が込み上げ、
血の気が引いていった。

※盗難されたものなどは、
 「(カテゴリー別)旅日記」→「旅に関する話」→「フランスの盗難事件と今後について」
 をご覧下さい。


その頃、ちょうど電車が途中の駅に停車したので、
急いで外に降りてみたのだが、大勢の人が降りて来ており、
この中に犯人がいるとしても、とても捉えきれない状況。

しかし、すぐに列車は発車するので、
再び列車に飛び乗った。


そして、同じ1等車の他の部屋を駆け回ったのだが、
数人しか客がおらず、どう見ても犯人ではない様子。

そして、「まずは車掌に相談したほうが良い。」というアドバイスをもらい、
隣の車両に行って、車掌を捕まえて事情を話した。


しかし、この車掌、英語が通じないこともあるのだが、
「君は乗車チケットは持っているの?とりあえずチケットを見せなさい。」と
わけのわからない返答をする始末。

さすがにこれには切れて、
「だから、鉄道パスも入ったバックごと盗まれたって言っただろうが!!!!」と怒鳴った。

そして、
「これは緊急事態だ。マルセイユに到着したら、
 1人1人、乗客の荷物チェックをさせてもらいたいぐらいだ。」と言ったのだが、
「そんなことは不可能。」といった素振りで、サポートする気も無い様子。

あげくの果ては、車両の隅に行って、
他の車掌と雑談し始める状態。

何だ…こいつらは…。


この状況を見ていた、周りにいる2等車両の人のうち、
40歳代ぐらいの女性が英語で話しかけてくれ、
「マルセイユに到着したら、ホームに警察オフィスがあるから、
 一緒についていってあげる。」と申し出てくれた。

ありがたい…。

また、僕は最後のチャンスとして、この2等車両の人たちのうち、
僕のバックがそのまま入ってしまうような大きなバックやトランクを持っている人に対して、
荷物チェックをさせてもらうことにした。

事情を話した上で、
「あなたのことは、もちろん信用しているけれど、 
 念のため、荷物をチェックさせて下さい…。」とお願いして回り、
1人1人、荷物を見せてもらったのだが、バックは見つからなかった。


このまま、電車は15分ほどで、マルセイユ駅に到着したのだが、
到着間際に驚くことが起きた。

何と、この車両の人たちが全員立ち上がって、
硬貨や小額の紙幣を財布から出してくれて、僕に歩み寄ってくれて、
励ましの言葉と共に、それを渡してくれたのだ。

何というありがたいことだろう…。

この事態においては、お金ももちろんありがたかったのだが、
何といっても、そうした気持ちが、本当にうれしかった。

僕はただ、「ありがとうございます…ありがとうございます…。」と
頭を下げて、お礼の言葉を述べるしかなかった。



そうして、マルセイユ駅に到着すると、
そのまま、駅のホームの警察オフィスへ行った。

そして、先程声をかけてくれたフランス人の人が、警察に状況を説明してくれ
この後の対応は、警察がすることになった。


そして、この人は
「ごめんなさい、本当はずっと付き添ってあげたいのだけれど、
 家に帰らなければならない。
 もし何かあったら、電話をして下さい。」と言って、
電話番号と名前をメモに書いて渡してくれたのだった。

また、警察オフィスには、別の2人の人もついて来てくれていたのだが、
このうち、60歳代ぐらいの女性(アニックさん)は、
駅の近くに住んでいるようで、同じ家に、ベトナム人で英語が話せる人もいるらしく、
もし良かったら、泊まりに来て良いと言って、連絡先を教えてくれた。

もう1人の男性の人も、
今夜の宿泊費ぐらいなら、喜んで出してあげるよと申し出てくれた。
ただ、アニックさんの話しを頂いたことや、警察の手続きもどうなるか分からなかったので、
気持ちだけ頂くことにした。

この状況を見ただけで、これだけ多くの人がサポートに回ってくれるという
その気持ちの優しさに、ただただ感謝する他なかった。


そして、次は警察とのやり取りになったのだが、
ひとまず近くの警察署に移動するということで、パトカーに乗せられた。

パトカーに乗っているときは、
「なぜ僕はパトカーに乗っているんだろう…」と、
あまりの急な出来事に、今起きていることが現実として信じられなかった。


警察署にはすぐ到着したのだが、
2階のオフィスに通されて、そこで、警察署長みたいな人が現れたのだが、
とりあえず、パスポートすら失った緊急事態なので、
日本の大使館(または領事館)に連絡させてくれとお願いすると、
電話をつないでくれた。

電話の先は、24時間対応の、フランスの領事館の緊急窓口だったのだが、
状況を説明し、対策を検討した。

まず、パスポートは、幸い、マルセイユに領事館があるということで、
明日9時から開館するので、明日訪問することになった。

宿泊先に関しては、領事館側としてはサポートの手段が無いと言われたのだが、
フランス人の人の話をすると、さすがに盗難後なので、
家に訪問して危険な目に遭うとは考えづらいと言われた。

そこで、手続き後、警察に送ってもらうよう、頼んでもらうことにした。

また、クレジットカードの停止に関しては、
警察に電話を借りれるよう、フランス語で交渉してもらうようにお願いした。
また、カード会社の緊急連絡先も、教えてもらった。

盗難届け(ポリスレポート)の取得に関しても、
この場で、警察の担当者に伝えてもらうことにした。


そして、受話器を警官に渡して、話をしてもらい、
これらのお願いについて了解をもらった。

そして、さっそく電話を借りてカード会社にかけてみたのだが、つながらない。
おかしいので、もう一度領事館にかけ直してもらい、
番号を確認したのだが合っている。

どうやら、この警察からは、国際電話につながらないといったことも、
原因として考えられるとのこと。

なんだそれ…。


そうこうしていると、若い警官が現れ、
勤務交替の時間が来たような素振りを見せて、
とりあえずオフィスから出て、1階で待っていろと言われた。

おいおい…電話はどうなるんだ…と思ったのだが、
英語が通じないので話しにならない。


そして、1階で待っていると、その場にいる警官は談笑を始めるなど、
全くもって、事態が動きそうに無いので、こちらから声をかけた。

すると、これまた英語が通じず、
やる気の無い対応をされて、とりあえず待ってろの一点張り。

話しにならないので、何度も駆け寄って、
とりあえず電話を貸してくれと言ったのだが、
しばらくすると、別の警官が出てきて、パトカーに乗れという。

「どこに行くの??」と聞いたのだが、
英語で話が出来ない…。


わけもわからず、パトカーに乗ることになったのだが、
近くの、ポリスホテルと掲げられた建物にパトカーは到着した。

いや、別に宿泊施設はいらないのだが…と思ったのだが、
入り口のベンチに座らされ、また、しばらく待ってろと言われた。

待っていると、この建物には、次々と手錠をはめられた犯人達が
警察につれられて入ってくるのだった。

それを見ていると、何だかくだらないというか、
こうした人達によって、僕らが被害をこうむっていることが、悲しくなってきた。


そして、しばらく待っていると、
また、パトカーに乗って移動するということで、
パトカーに乗せられたのだが、
ここで、警官から言われた一言に驚いた。

「で、君に、何が起こったんだ…??」と。

「は…!??今更何を言っているんだ、こいつは…」と、
呆れるほか無かった。

最初の駅の警察から、どういった連携が行われて、
どういった話になっているのだろうか。

おそらく、全く連絡がいっておらず、断片的な話になっているのだろう。

何で、警察ってこうも、当たり前の仕事の仕方というか、
基本が出来ないのだろうか…馬鹿げている。


そして、パトカーがどこに行くかと思ったら、
さっき滞在していた警察署。

もう、完全にたらい回し状態。

話しにならないので、受付に駆け寄り
とりあえず、日本の領事館に電話をしろと要求した。

そして、再び領事館の人に事情を話しながら、
その場で受話器を警官に渡してフランス語で話してもらい、
また、僕に電話を戻してもらう…といった形で、問題解決を図った。

そして、結論はこうなった。

まず、クレジットカード会社への国際電話は、
この警察からかけるのは出来ない(勘弁してほしい)とのこと。

また、盗難届け(ポリスレポート)に関しては、
英語が出来るスタッフがいないので、明日、日本の領事館に行って相談し
通訳をつけるなどして、改めて警察に来いということ。

そして、今夜の宿泊先に関しては、
警察から一度連絡を入れてもらい、その後、パトカーで送ってもらうことになった。


こうして、今夜、警察で出来ることは無くなったので、
パトカーで送ってもらうことにした。

家には、すぐに到着したのだが、
そこで、呼び鈴を押してもらい、アニックさんが出てきて、
警官を顔合わせをしてもらい、事情もいろいろと話し合ってくれた。

ここまですれば、この後、
宿泊中に危険な目に遭わされるといったことはまず起きないだろう。
僕は、そのために、警官に送ってもらうようにしたのだ。


そして、警察と別れ、
アニックさんに案内されて、階段を上って
家に招いて頂いた。

とはいえ、さっき少し話したぐらいで、いきなり家に訪問したので、
一体どういった環境なのか全くわからない状況だったのだが、
部屋に入ってみると、これがなかなか広い。

また、ベトナム人の男性(トン・30歳)と、
フランス人の女性(ガリマ・25歳ぐらい)が出てきた。

どういった状況なのか、つかめなかったのだが、
ベトナム人のトムが英語が話せるので、
アニックさんの話すフランス語を通訳してくれた。


そして、一室に招かれると、
「ここを自由に使って良いよ。」と言われ、
いきなり合鍵を渡されてたのだった。

「ええ???今来たばっかりだけど、
 こんな立派な部屋を、しかも、合鍵も渡してもらえるの???」と
かなり驚いてしまった。

ありがたさに、言葉も出なかったのだが、
本当に驚いた。

そして、トンに話を聞きながら状況を確認すると、
この家は、アニックさんと、トム、そしてガリマの3人で
ルームシェアしているらしい。

そして、1部屋、空き部屋があるので、
その部屋を自由に使って良いと言ってくれたのだった。

しかも、パスポートの再発行などに何日かかったとしても、
事態が回復するまで、ずっと滞在して良いと言ってくれた。

何とうれしいことだろう…。

ひとまず、明日の日本領事館への行くのが第一だということで、
地図を持ってきてくれ、場所を詳しく教えてくれた。

お金が無く、タクシーは使えないので、
地下鉄に乗って最寄り駅まで行って、歩いていくことにした。



また、「お腹が空いているでしょう?」とアニックさんが言ってくれて、
簡単な料理を作ってくれることになった。

本当に、申し訳なさでいっぱいだった。


そして、キッチンがある部屋に移動し、
ひとまず、食事を頂くことにした。

ここで、やっと一息つくことが出来た…。


そして、アニックさんと、トンと話しながら、
食事を食べ終えたのだが、
アニックさんは、明日の早朝(4時起き)で、
パリにいる息子さん達に会いに行く用事があるということで、
先に寝るといって、自分の部屋に戻っていった。

その後は、トンが家の説明を丁寧にしてくれて、
シャワーの使い方であったり、トイレの位置、
また、鍵の使い方も、わざわざ1階まで降りて、
実際に試しながら教えてくれるなど、
本当に親切に教えてくれたのだった。


また、僕が泊まらせてもらう部屋にはモデムがあったので、
僕が持っているノートPCで無線LAN接続をしてみたら、無事つながった。

インターネット環境もあれば、もう完壁だ。

さらには、トムが、受信専用ではあるが(クレジットカードがあれば発信も出来た)
携帯電話を僕に渡してくれたのだった。
携帯電話には、もちろんアラーム機能もあるので、助かる。

何という待遇というか、優しさだろうか。


トンは「他に何かあるかな、大丈夫かな?」と聞いてくれ、
僕は、「これだけ整えば大丈夫」だと答え、
トンは「今日は疲れているだろうから、ゆっくり休んで。」という言葉をかけてくれ
今夜はこれで寝ることになった。

あまりの急展開に驚くばかりだったが、
こんなことで、急遽家に泊まらせてもらうことになり、
本当に奇跡というか、この出会いが無かったら、一体どうなっていたんだろうと思った。


そして、インターネットを使い、まずは家族にメールで連絡を入れて、
代行で、カード会社に連絡を入れてもらい、
カードの利用をストップしてもらうようにお願いしようと思ったのだが、
どうも、無線LANの調子が悪い。

先程はつながったのだが、シグナルが弱いのか、
すぐにエラーになってしまう。

しかし、カードは早く止めなければ…と思い、
2時間近く粘ったのだが、結局つながらないので、
少し仮眠してから、また再挑戦することにして、
ベットに横になったのだった。


窓から差し込む光を見ながら、
この怒涛の数時間の展開を終えてホッとすると同時に、
大変なことになってしまったな…と、未だに実感の湧かない、
不思議な感覚に襲われながら、眠りについたのだった。

この時、夜中の3時過ぎになっていた。

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